オシムが挑むボスニアサッカーの改革=今も変わらぬ日本への思い
W杯予選で首位に立つ代表チーム
ボスニアサッカーの将来構想について語るオシム氏。新スタジアムのスポンサーを日本企業に頼む場面も 【杉山孝】
10月12日には、グループ最大のライバルであるギリシャと、無得点ながらも敵地で引き分けた。次の試合が、今予選での大一番である。来年3月に、ホームにギリシャを迎えるのだ。「次が最も大切な試合だ。アウエーではよく引き分けた。次の試合に勝てればとても大きい」とオシム氏の声が張りを増した。
食卓の端には、新たな人物が静かに加わっていた。アシマ夫人は「彼は英語が話せないから」と説明したが、ホストと客人との会話を邪魔しまいと口をつぐんでいるようにみえた。忙しそうに何度か店を出入りしていたが、正常化委員長によると代表チームの“すべて”を世話する人物だという。
「彼の携帯電話には全選手の連絡先が入っている。選手に困ったことがあれば、すぐに彼が対応するし、バスも運転してくれる。代表チームのために何でもしてくれるよ」
では、あとは試合に出られれば完璧ですねと軽口を叩くと、「元選手だったんだよ」と返された。ウィットで勝てるはずもない。
新スタジアム建設の壁は資金調達
描かれていたのは、新スタジアム建設の計画だった。これまでのW杯予選2試合は、サラエボから70キロメートルほど離れたゼニツァで行われている。だがオシム氏は「サラエボに代表チームがプレーできるスタジアムを建てたい」という。
スタジアムは2階建てで1階は1万4385人、2階は5336人、合計1万9721人の観客を収容する。記者席は170、トイレの場所から試合後の選手とメディアの取材ゾーンへの動線まで、細かに設定されていた。
計画では、オシム氏が選手と監督として栄光をつかんだジェレズニチャルのホームグラウンドを建て替えることになっている。ちなみに現在の同クラブを率いるのはオシム氏の長男で千葉も率いたアマル・オシム監督だ。09年に古巣の監督に就任すると、そのシーズンに7年ぶりのタイトルをもたらし、昨季には国内2冠を達成。2回戦で敗れたが、今季のチャンピオンズリーグ(CL)予選にも出場している。加えておくと、現在もクラブの公式サイトの背景は、英雄イビチャ・オシムの写真が飾っている。
構想も土地も想いもある。問題なのは資金だ。内戦から復興してきたようだが、欧州どころか世界を取り巻く不況はボスニアでも変わらない。だからオシム氏はこう話す。
「日本の企業でスポンサーになってくれるところはないだろうか? そうしたら、スタジアム中にスポンサーの看板を立てるよ。例えばヤマザキナビスコカップとJ1優勝チームの試合をここで開催したっていいじゃないか」
いつものようにジョークを口にしているようには見えなかった。
誰よりも尊敬されている老将
「(ミシェル)プラティニ(UEFA会長)は、バルカン半島で欧州選手権(EURO)を開きたいと思っている。政治的な思惑もあるのだろう。今度、プラティニと会って話をする予定だ」
オシム氏の日本での代理人を務める大野祐介氏によると、オシム氏は旧ユーゴスラビア各国でEURO、あるいはW杯を共催する夢を持っているという。旧ユーゴスラビア諸国がサッカーでまとまることによって、この地で二度と戦争が起きないことを願っているのだ。また、今月そのプラティニ会長が表明したように、EURO2020はホスト国を決めるのではなく、欧州中の12〜13都市で開催する方向で話が進められている。代表チームの成績や、オシム氏が言う「政治的思惑」を考えても、サラエボが会場となる可能性は十分あるはずだ。
日本にいるころから、金には無頓着なことで知られてきた。その指揮官が赤字の解消に汗を流し、スタジアム建設のスポンサーを求める。その事実がボスニア、旧ユーゴのサッカーへの思いの強さを物語る。効果という名の意味の大きさは分からない。だが、1年だけビッグクラブのユニフォームスポンサーとなるよりも、戦火にさらされたスタジアムの生まれ変わった姿に名を残す方が、少なくとも資金拠出の意義はずっと大きいように思われる。
サッカー談義も一息つき、デザートまでたいらげた老将はゆっくりとした足取りで夜道へと姿を消していった。冷えてきた空気の中、外まで出てきた店員がその後姿を黙って見送る。「オシムさんは大統領よりも人気があって、誰よりも尊敬されています」と月明かりが照らす背中を見て通訳女史はそう語った。
今月14日、理事会選挙を経てボスニア・ヘルツェゴビナサッカー協会会長が1人にまとめられたとのニュースが伝えられた。それに伴い、正常化委員会も解散となるとされている。
<了>