マウリシオ・ショーグン 名勝負12番史=UFC

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2007年9月22日 UFC 76 フォレスト・グリフィン戦

 PRIDEの終焉とともにショーグンはUFCに活躍の場を移した。UFCデビュー戦となったフォレスト・グリフィン戦は史上最高級の試合が予想された。しかし、第3ラウンド4分45秒にグリフィンがチョークスリーパーで勝利すると、この対戦はこの年の最大のアップセットの1つとなった。これにより、ショーグンは自身の強さを再び証明するために出直しを強いられた。

2009年4月18日 UFC 97  チャック・リデル戦

2度のひざの手術後に強豪リデルを1ラウンドKO、100%の状態にも土ったことをアピールした 【Zuffa LLC via Getty Images】

 2度のひざの手術を経たショーグンは、2009年1月にオクタゴンに復帰し、かつての宿敵コールマンを倒した。ケガ以前の面影はなく、ショーグンは最終ラウンドでようやく宿敵を下した。

 そしてショーグンが本当の意味で復活したかどうかは、モントリオールでのチャック・リデル戦までその結論を待たねばならなかった。100%の状態に戻ったショーグンはUFC 97にて第1ラウンドでリデルを下した。これはショーグンにとって最も満足のいく勝利だったかもしれない。

2009年9月24日 UFC 104 リョート・マチダ戦

UFC王座をかけたリョート(左)との初対決は物議を醸す判定に泣いた 【Zuffa LLC via Getty Images】

 コールマン、リデルを下したショーグンは、新たにチャンピオンに輝いたリョート・マチダとUFC 104で対決した。この試合の前までリョートは無敗で、彼を倒すことは不可能だと思われていた。彼の変則的なスタイルは対戦相手を惑わすようなものだった。しかし、ショーグンは明確なプランを持ってこの対戦に臨んだ。アグレッシブに攻撃し、25分間にわたりリョートを困惑させた。

 試合が終了した時、多くの人が新たなチャンピオンの誕生を信じたが、結果は48対47の僅差でリョートがベルトを防衛した。

 ショーグンは試合の後、「俺の観点では、最後の3ラウンドは自分が勝っていた。俺に声をかけてくれた人は皆、同じことを言っていたよ。俺が勝っていたとね。でも、だからといって何が出来る? 結果は結果だ。とても残念だ」とコメントした。

2010年5月8日 UFC 113 リョート・マチダ戦

リョートとの再戦を制し、ついにUFCでも頂点に立った 【Zuffa LLC via Getty Images】

 公式発表ではリョート・マチダをノックアウトするのに要した時間は3分35秒と発表される。しかし、ショーグンの浮き沈みの激しいキャリアを思えば、そこに辿りつくまでは果てしない道のりだったと言える。そしてこの勝利は間違いなく彼のキャリアの絶頂となった。ショーグンはマチダの解読不能な独特のスタイルを打ち破り、プロ初黒星をつけた。そして、より重要なのは、この勝利でショーグンが遂にライトヘビー級王者に輝いたことだ。ショーグンは遂にUFCチャンピオンになったのだ。

2011年11月19日 UFC 139 ダン・ヘンダーソン戦

史上最高の一戦の一つとも称されたダン・ヘン(右)との一戦、壮絶なシーソーゲームの末に惜敗 【Zuffa LLC via Getty Images】

 ショーグンの政権は長くは続かなかった。ショーグンは2011年3月のUFC 128でジョン・ジョーンズに敗れ王座を失った。ショーグンは失望したものの、その歩みを止めることはなかった。5カ月後の8月28日にフォレスト・グリフィンを破ると、続く11月19日、元PRIDEファイターでもあるダン・ヘンダーソンとの5ラウンドマッチに臨んだ。この試合の結果だけからでは、史上最高の一戦の一つとも評されたこの試合を推しはかることは到底できない。ベストではないかもしれないが、そのぐらいすごい試合だった。

 この試合を落としたあと、ショーグンは2012年8月にオクタゴンにカムバックし、ブランドン・ヴェラと対戦した。そしてこの時、ショーグンは第4ラウンドTKOでの勝利を手にした。そして12月8日、ショーグンはグスタフソンと対決する。この対決はエキサイティングなものになるに違いない。

By Thomas Gerbasi

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