ビーチ転向の上場「五輪で戦う自分をイメージしている」

ビーチバレースタイル

インドアからビーチに転向した上場。五輪出場を目指し、新たな道を歩み出した 【写真/ビーチバレースタイル】

 左利き、最高到達点350センチ。バレーボール界期待のオポジットとして名をはせた上場雄也がビーチバレーへ転向した。今年度の全日本代表にも名を連ね、ワールドリーグ予選にも出場した上場。リオデジャネイロ五輪出場も期待された逸材は、所属していたFC東京を退団し、主戦場をコートから砂の上に変えた。

 デビュー戦となった9月下旬のJBVツアー第6戦ペボニアカップ(東京・お台場)では、持ち前のジャンプ力、長いリーチに加え、機動力も発揮。転向して初の大会にも関わらず、ポテンシャルの高さをうかがわせた上場は、今後の目標についてこう語った。

「目指すのは、リオ五輪。出場してその舞台で勝つこと」

 心機一転、決意を固めた上場のバレー時代を振り返るとともに、転向したいきさつ、今後の意気込みについて聞いた。

一度は教員の道に進むも、バレーへの思いが再燃

常に新たな夢を抱き、それに向かってチャレンジする上場。その姿勢はV・チャレンジリーグにいたころからも変わっていない 【写真/ビーチバレースタイル】

 上場がバレー界で頭角を現し始めたのは、大学4年のころだった。それまで2部に在籍していた中央学院大を初めて1部との入替戦まで引き上げ、卒業後はV・チャレンジリーグの東京ヴェルディとプロ契約を結んだ。

「いずれは教員になりたかった」という上場は、3年間所属したのち東京ヴェルディを退団。2008年秋に教壇に立ち、千葉県松戸市にある母校の中学校でバレー部の顧問も務めていた。

 しかし、生徒と一緒にボールを追いかける生活の中で、「もう一度、自分自身が選手としてやりたいと思った。一度はプレミアリーグでプレーしたかった」と、バレーへの思いが再燃。つくばユナイテッドの門をたたいた上場は、V・プレミアリーグ昇格を夢見て練習に励んでいた。

全日本で世界を経験した上場、また新たな夢を抱く

 つくばユナイテッドの主力だった上場は09年、全日本予備軍として出場した東アジア競技大会で銀メダルを獲得。その活躍がシニアの植田辰哉監督の目に止まり、全日本入りを果たすことになる。

「今まではプレミアリーグで戦うことしか頭になかった。まさか全日本に届くとは思っていませんでした。可能性があるなら挑戦したいと思った」。ワールドリーグやアジア大会で強豪国と対戦し、世界のトッププレーヤーと触れ合いこれまでにない刺激を受けた。生まれて初めて「五輪に出場する」という目標ができた。

 世界の舞台を経験した上場は、所属も以前から誘われていたFC東京に籍を移す。「全日本で得た経験をリーグ戦で生かしたいと思った」と語り、兼ねてから目標であった夢のプレミアリーグでのプレーを実現させた。

 夢の舞台でのプレーがかない、順風満帆に見えた上場だったが、その裏で「膝の状態が悪く、チームに迷惑をかけていた」という苦悩を抱えていた。そして上場は、今年に入ってから「五輪後、次の目標を考えた時に、若手が充実しているバレーを続けることよりも、新しいことに挑戦したい」と思い始めた。

「今度は、なるべく個人への依存性が高い競技で、世界と勝負したいと思いました。もともと姉の影響でテニスも好きだったので、シングルスの挑戦も視野に入れていたんです。ところが『YouTube』でテニスの映像を検索していたら、なんじゃこりゃ!? という映像が出てきました」

 上場が、新たな戦いの舞台として最初に選んだのは、実はビーチバレーではない。砂浜でネットを立てて、バウンドなしでボールを打ち合うビーチテニスだった。

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著者プロフィール

2009年4月創刊。国内トップ選手の情報、大会レポート、技術指導、トレーニング論など、ビーチバレーを「見る」「やる」両方の視点から、役立つ情報が満載。雑誌のほかに、ビーチバレースタイルオンラインとして、WEBサイトでも大会速報、大会レポートなど、ビーチバレーに関する報道を行っている。

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