ビーチ転向の上場「五輪で戦う自分をイメージしている」

ビーチバレースタイル

五輪出場への思いからビーチバレーを選択

上場は大学の後輩である長谷川の話をきっかけにビーチに転向する。それは五輪という夢を目指すためでもあった 【写真/ビーチバレースタイル】

「動かないと始まらない」。思い立ったらすぐ行動に移すのが性分である上場は、ラケットを購入して海へ向かった。

「ビーチテニスは、普通のテニスと違ってボールをダイレクトで打つ。バレーの要素もあるので、すぐにひき込まれました。五輪種目ではないんですけど、いずれはこの競技で世界を目指してみたいと思いました」

 これまで「自分がやりたい」と決めたことに対し、正直に突き進んできた上場。五輪に出場したい、世界と戦いたいという思いをかなえられるのであれば、それはバレーだけに限らない。「自分が楽しいと思えるもの」を新たな舞台に求めていた。

 そう思っていた矢先。ビーチテニスをやり始めてから、大学時代の一つ下の後輩・長谷川徳海(ペボニア・ボタニカ)と海で会う機会が増えた。長谷川とは大学卒業以来、10年の広州アジア大会で再会を果たしていた。

「久しぶりに会った長谷川は、体が大きくなっていて、日本のトップを走っていました。それに刺激を受けたし、真剣な面持ちで長谷川がビーチバレーの魅力を語ってきたんです。うまくなるのは自分たち次第。ワールドツアーで勝てれば、五輪に出場できる。6人制より個人の依存性が高いという面は、自分に向いていると思いました。いまだに競技自体は自分に向いているとは思っていないんですけど(笑)。できないことに取り組むのが挑戦の面白いところ。毎日向上心を持って挑める競技だと思いました」

 ビーチテニスに傾いていた心が動いた。五輪を目指す新しいステージとして、上場は最終的にビーチバレーを選択した。

五輪へ走り続ける上場「1年後にトップを」

デビュー戦は板橋正人とペアを組み、9位。「1年後にトップを」と語る上場は、有言実行を果たすことができるのか。 【写真/ビーチバレースタイル】

 こうして転向を決意し、スタートを切った上場。インドア時代はほとんどレセプションをしていなかったが、ペボニアカップの初戦では強風に負けず、柔軟な動きでサイドアウトを切っていく姿が見受けられた。

「サーブがくると分かっていれば、レセプションは上げられます(笑)。自分としては、砂の上で全然跳べてなかったですし、風の対応も分からない。来年は、あんな思いはしないですよ! 1年間、練習すれば、それなりに戦える自信はあるんですけど、『それなり』じゃダメなんです。リオ五輪まで時間はないし、1年後にトップを走っていないといけない」

 そう言葉に力を込める上場は、「弱いところからはい上がって、五輪で戦う自分をイメージしている」という。果たしてそのイメージと現実の自分を重ねることはできるのか。リオデジャネイロに続く道のりを猪突(ちょとつ)猛進で走り続ける。

<了>


■上場雄也/Yuya Ageba
1983年9月30日、千葉県松戸市生まれ。中学校1年からバレーボールを始め、松戸市立常盤平中、松戸六実高、中央学院大を卒業。07年に東京ヴェルディに入団し、08年にはつくばユナイテッドへ。その間、中学校の教員も経験し10年、全日本入りを果たし、広州アジア大会で金メダルを獲得した。同年、FC東京に移籍し、2年間の在籍を経て退団。12年9月からリオデジャネイロ五輪を目指すため、ビーチバレーに転向した。

BeachVolleyballPhotoBook 〜2009〜2012 時代を築いてきた者たち〜

『BeachVolleyballPhotoBook 〜2009〜2012 時代を築いてきた者たち〜』表紙 【写真/ビーチバレースタイル】

ビーチバレーの一時代を築いてきた浅尾美和、西堀健実、浦田聖子、朝日健太郎、白鳥勝浩、西村晃一……。彼ら、彼女たちのシンボルである、砂の上を華麗に舞う肉体美をここに凝縮。男女合わせて1冊の写真集、勝負のシーズンに向けてインタビューも収録。

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著者プロフィール

2009年4月創刊。国内トップ選手の情報、大会レポート、技術指導、トレーニング論など、ビーチバレーを「見る」「やる」両方の視点から、役立つ情報が満載。雑誌のほかに、ビーチバレースタイルオンラインとして、WEBサイトでも大会速報、大会レポートなど、ビーチバレーに関する報道を行っている。

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