内村、構成難度を落としながらも圧巻の金メダル=体操男子個人総合

矢内由美子

鉄棒で構成難度を落としながらも圧巻の内容で金メダルを獲得した内村。団体総合の雪辱も果たした 【Getty Images】

 ロンドン五輪の体操男子個人総合決勝が1日(現地時間)に行われ、団体総合で銀メダルに終わった内村航平(KONAMI)が、雪辱を果たす金メダルを獲得した。日本人の個人総合金メダルは、1984年ロサンゼルス五輪の具志堅幸司以来28年ぶり。世界選手権(3連覇中)と五輪との個人総合2冠達成は日本初の快挙となった。

 山室光史(KONAMI)の左足首骨折による欠場で、繰り上がり出場した田中和仁(徳洲会)は、4種目を終えて2位につけていたが、ラスト2種目のゆかとあん馬でミスを犯し6位に。内村とのアベック表彰台とはならなかった。2位はドイツの新鋭、マルセル・グエンで、3位はダネル・レイバ(米国)だった。

6種目すべて15点以上と圧倒的な内容

 最初に訪れた鬼門を無難に乗り越えたことが大きかった。この日は、団体決勝の際に着地が大きく乱れた、あん馬からの演技。内村は演技中にほんの少しだけバランスを崩したものの、15.066とまずまずのスタートを切る。
 
 2種目目のつり輪も15.333と安定した演技。そして、このあたりから内村は確実に本来のリズムを取り戻していく。

 3種目目の跳馬ではため息が出るほどの演技を披露した。D得点6.6のシューフェルトを、芸術的な空中姿勢、1ミリも動かない着地でまとめると、演技のできばえを示すE得点は他の追随を許さない9.666で、得点は16.266。内村は3種目を終えた時点で初めてトップに立った。

 続く4種目目の平行棒では、屈伸ベーレを抱え込みベーレにする安全策を採って15.325で首位キープした。

 団体予選で落下した5種目目の鉄棒では、コールマンを抜いて15.600。リスク回避のために難易度を落とした構成で臨みながらも2位以下との差を広げるあたりが、内村の抜きん出たレベルを物語る。鉄棒が終わったとき、内村はこの日初めてホッとしたような顔を見せた。

 最後には得意のゆかでミスも出たが、点数的には15.100という高得点。最終的には全6種目の合計で92.690、すべての種目で15点以上という圧巻の内容で金メダルを獲得した。

表彰台に上がると内村の表情も笑顔に

 最終種目となったゆかの演技が終わると、内村は両手を顔の前で合わせ、「済まない」と言いたそうな表情で観客席に向かい、小さくおじぎをした。内村にしては珍しく、2つめのシリーズの着地でバランスを失い、両手をゆかに着いてしまっていた。

「最後の最後でやってしまった。やっぱりオリンピックには魔物がいるなというのを再認識させられた、そんな気持ちです」

 弾けるような笑顔がないのは、磁石が吸い付くような完璧な着地を身上とする彼だからこそ。演技後は複雑そうな顔も見せていたが、表彰式が始まるとその表情は誇りに満ちあふれていた。センターに日の丸が揚がり、表彰台の真ん中に内村が立つ。そして流れてきた国歌・君が代。最高の瞬間の訪れだった。

「日の丸を見て、ああ、最高だなと思いました。世界選手権では3連覇してるけれど、やっぱり違います。夢のよう。日の丸が揚がってるのを見てもまだ実感が湧いていない。本当なのかなとずっと思っていました」

「感謝したいのは両親 母の応援が力になった」

 演技の構成難度を落としてリスクを回避する方法を選ぶかどうかは最後まで悩んだ。順位を重視して演技構成を変えるということを今までにしたことがなかったから、心の中で引っかかるものがあったのだ。
 けれども、そのときに浮かんだのが、宿舎で同部屋の山室だった。「演技を確実にやって、光史に一番いい色を見せたい」。その思いが鉄棒での確実な演技へとつながり、そして、最もまぶしく輝くゴールドのメダルを手にすることになった。

 表彰式の後はスタンドで見守っていた両親の近くまで行き、母・周子さんに、もらったばかりの花束をポーンと投げて渡した。
 銀メダルを取った4年前の北京五輪。当時まだ19歳だった内村は、母親への照れ隠しからか、周子さんには笑顔を見せることがあまりなかった。ところが今回は、団体総合銀メダル、個人総合金メダル、いずれも表彰式でもらった花束を周子さんにプレゼントし、そして言った。

「一番感謝したいのは両親。母の応援は一番声が大きくて力になりました」

 最大の目標としていた団体総合で中国の後塵を拝してからわずか中1日。内村はしっかりと気持ちを立て直して個人総合に臨み、そして勝った。演技構成の難度を落としてもなお2位以下を寄せ付けない圧勝だった。

<了>
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著者プロフィール

北海道生まれ。北海道大卒業後にスポーツニッポン新聞社に入社し、五輪、サッカーなどを担当。06年に退社し、以後フリーランスとして活動。Jリーグ浦和レッズオフィシャルメディア『REDS TOMORROW』編集長を務める。近著に『ザック・ジャパンの流儀』(学研新書)

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