萩野公介、競泳史上初の快挙を支えた「素直な心」と「謙虚な姿勢」=ハギトモコラム

萩原智子

日本競泳史上初の快挙

日本の男子個人メドレーで初めてのメダルを獲得した萩野公介(右) 【Getty Images】

 アイドルグループ「AKB48」のファンで、推しメンは大島優子さん。練習がお休みの時は、握手会へも足を運ぶ。好きな歌手は、「いきものがかり」で、その歌詞にも影響を受ける。小学生のころから、アニメ『名探偵コナン』も大好きな17歳。
 そんな高校3年生の萩野公介選手(御幸ケ原SS)が、ロンドン五輪の競泳初日の種目である男子400メートル個人メドレー決勝で、日本の男子個人メドレーで初めてのメダル獲得という快挙を成し遂げた。

 大会初日に行われる予選、決勝のトップバッターは、チームメートにも大きな影響を与えるため、相当なプレッシャーがかかる大役だ。過去2大会、日本チームは、初日でのメダル獲得はできていない。そのため、初日の種目について、たびたび重点強化を訴えてきた。

 競泳は、もちろん個人競技だ。よって、レース前の不安や恐怖心をひとりで抱え込んでしまい、孤独になってしまうケースがある。私も、その「孤独」を経験したひとりだ。その「孤独」を少しでも軽減しようと、チームで対策が行われてきた。

 2000年シドニー五輪では「チームの輪」を大切にし、選手や指導者が、所属の垣根を越え、情報交換やアドバイスをし合う雰囲気を作り出した。担当コーチではないから……ではなく、日本代表チームの選手、コーチとしてチームワークが出来上がってきたのだ。みんなで不安や恐怖心を共有し、みんなで乗り越えていく。

 自分自身の為に……チームの為に……ひとりひとりのレース結果はチームに勢いを与え、その逆の場合もあり得る。しかし、萩野選手はそんな重圧を感じさせない、大きな伸びのある泳ぎで、予選で日本新記録を更新。決勝でも臆することなく、落ち着いたレース運びを見せ、ふたたび4分08秒94で日本新記録を更新、銅メダルを獲得した。日本チームの1人として、最高の泳ぎ、レースを見事にやってのけた。

 今回のレースで、米国の“怪物”マイケル・フェルプス選手に競り勝ったことで、200メートルバタフライで対決する松田丈志選手(コスモス薬品)に最高の形でバトンを渡すことができた。

「エリート選手」のジンクスを打ち破り五輪へ

 萩野選手は大会前から好調をキープしており、今季の世界ランキングでも3位と好位置につけていた。とはいえ、五輪では心身共に緊張感のある中でのレースになるため、このランキングは参考にならないことが多い。

 男子の高校生、五輪日本代表選手は、2000年シドニー五輪以来の出場となり、あの北島康介選手(日本コカ・コーラ)に続く快挙だ。当時の北島選手でさえも、初出場の五輪では、100メートル平泳ぎで4位と悔しい思いをしている。日本代表選手として、国際大会の経験値も少ない萩野選手の落ち着き、安定感、心の強さには、とても驚いている。

 萩野選手は、0歳からのベビースイミングで水泳と出会った。水泳界で言う「エリート選手」の1人として成長を遂げてきた。小学、中学、高校時代と、それぞれの年齢での新記録を樹立。水泳の場合、小学生時代に好記録を樹立した選手は、その後、記録が伸び悩んでしまうことが多い傾向にある。
 萩野選手本人も、インタビューで「学童記録(小学生の記録)を出している人は、オリンピックに行けないジンクスがある。自分は大丈夫なのかな、と心配になった時期もあった。」と語るほど、なのだ。

 私も、学童記録を樹立し、その後、伸び悩んでしまう選手を数多く見てきた。小学生は、まだまだ幼く、心技体の「心」の部分、精神的な成長が、技術や体の成長に追い付いていない場合がある。
 好記録を樹立すると、周りから特別扱いされ、自分は特別なのだ、すごいのだ……と、天狗(てんぐ)になり、自分自身を見失ってしまうケースもある。自分を見失ってしまった選手は、もちろん目標も見失う。そこから伸び悩み、日本代表への道が断たれてしまう選手もいた。

同じ「こうすけ」として……

 そんな中、萩野選手は順調に記録を伸ばし、日本代表への道を目標に歩み続けてきた。ではなぜ、萩野選手は周囲の心配をよそに記録を樹立し続け、日本代表になり、五輪の夢舞台で銅メダルを獲得することができたのか。

 もちろん彼自身の水泳に対する才能、センス、努力もある。しかし、それを支えてきたのは、彼の「素直な心」と「謙虚な姿勢」にある。
 良い記録を樹立しても、驕(おご)ることなく、進んできた。好調だった時期に、右ひざ半月板の手術も受けた。周りが記録を伸ばし、彼の記録を更新する選手も現れ、不安な日々も経験した。しかし、そんな時も、彼はライバルをたたえ、認め、パワーに変えていた。自分自身の現状を見極め、受け入れる強さ。選手として、なかなかできることではない。

 そして彼は、いつ会っても、礼儀正しい。私が初めて彼に会った時、深々と頭を下げ、「こんにちは」と笑顔で挨拶(あいさつ)をしてくれた。世代が違い、話をしたこともない私に対しても、しっかりと挨拶ができる……。若いのに偉いな、と思った。
 萩野選手は、17歳。しかし心は、もう大人だ。心技体、すべての部分を自ら成長させ、ここまで歩んできた。強く速い選手は、選手としても、人間としても素晴らしい。彼を見ていると、北島選手が浮かんでくる。

 同じ「こうすけ」として、萩野選手にとって北島選手の存在は大きな刺激になっている。同じチームの一員として五輪で戦うことで、世界との戦い方をリアルに感じることができたはずだ。今大会、北島選手とチームメートとして戦うことができるのは、とてもうらやましい。金メダリストの存在を身近に感じながら、自身もステップアップできたのが、高校生の萩野選手だ。“キング”北島のエネルギーは、しっかりと若手に伝わっている。

 これからもきっと彼は、自分自身と向き合い、現状を受け入れ、素直な心と謙虚さを兼ね備えて、世界と戦い続けるだろう。これからの彼の泳ぎが楽しみで仕方がない。彼の水泳人生は、まだまだプロローグにすぎないのだから。

<了>
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著者プロフィール

2000年シドニー五輪200メートル背泳ぎ4位入賞。「ハギトモ」の愛称で親しまれ、現在でも4×100メートルフリーリレー、100メートル個人メドレー短水路の日本記録を保持しているオールラウンドスイマー。現在は、山梨学院カレッジスポーツセンター研究員を務めるかたわら、水泳解説や水泳指導のため、全国を駆け回る日々を続けている

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