本田圭佑があらためて示した「圧倒的な存在感」=最終予選3連戦で4得点2アシストの大活躍

元川悦子

一番照準を合わせていたオーストラリア戦

この3連戦で残した成績は4得点2アシスト。本田があらためて示したのは圧倒的な存在感だった 【Getty Images】

 長谷部誠との右ショートコーナーから、深い位置でリターンパスを受けた本田圭佑が、思い切りのいいドリブルでペナルティーエリア内を突進する。背後から寄せてくるルカビチャ、横から止めに来たカーニーをかわし、絶妙のタイミングでマイナスの折り返しをファーサイドに送った。これを待ち構えていたのが栗原勇蔵。「ほとんど圭佑の得点と言ってもいいくらい、いいボールが来た」と話す長身DFが押し込んだ後半20分のゴールが、12日の2014年ワールドカップ(W杯)・ブラジル大会のアジア最終予選第3戦・オーストラリア戦(ブリスベン)で日本が挙げた唯一の得点となった。

「僕は攻撃的に行って相手を打ちのめすのが『王道』だと思ってる。結果がどう転ぼうとも、納得いく形でオーストラリアに向かっていくべき」と語ったように、本田が最終予選序盤3連戦で一番照準を合わせていたのが、このオーストラリア戦だった。ご存じの通り、11年アジアカップ(カタール)決勝では120分間の死闘を制しているが、この時も内容的に押される時間がかなり長かった。あれから1年半の時が経過し、長友佑都がインテルに所属し、香川真司がマンチェスター・ユナイテッドへの移籍を内定させるなど、ザックジャパンの経験値は確実に上がった。それを宿敵相手に印象づけなければ意味がない。サッカー人生最大の大けがを乗り越えて復活した本田としても、持てる力のすべてをぶつける必要があった。

 この大一番で、日本は立ち上がりから相手のハイボール攻撃に苦しんだ。それを何とかしのぎ、数的優位に立って先制するまではシナリオ通りだった。が、2点目を取れず、逆にPKから1点を返されるというその後の展開はやはり悔やまれた。サウジアラビア人のアルガムディ主審の不可解なジャッジによって試合が乱れ、同点に追いつかれたり、栗原が退場を強いられるといったアクシデントが頻発したにせよ、日本攻撃陣が相手の堅守を完全に打ち破れなかったのは事実であった。

本田が復活していなかったら……

 本田も納得いかない部分があったようだ。「10人になってからは最後まで崩せてはいたんですけど、点を取るためのアイデアというか、サプライズみたいなプレーが足りひんかった。特に2点目を取る部分に関しては、それを感じましたね」

 これは確かに的を射た見解だ。ショートコーナーからの1点目にしても、彼が意外性のあるドリブル突破を仕掛けたからこそ生まれたもの。前田遼一や岡崎慎司が貪欲(どんよく)にゴール前に詰め、香川真司も中央に入り込んでは得点を狙ったが、最後の一押しと工夫が足りなかった。長谷部と遠藤保仁の両ボランチもぺナルティーエリア外側で何度もフリーになりながら、ミドルシュートを打たずにパスを選択していた。既存の枠を打ち破る何かを見せなければ、やはり世界レベルの相手は崩せない。本田はそう痛感させられたのだろう。

「もっと得点に絡む動きを増やしていかないといけないですし、相手が嫌がるようなサプライズ、そう思うプレーの質も高めていく必要がありますね」と本人は真っ先に課題を口にしていたが、もしもこの男が復活していなかったら、このオーストラリア戦はもっと苦境に陥っていた可能性が高い。9カ月ぶりに復帰した日本代表で最終予選3連戦を戦い抜き、4得点2アシストという好結果を残したことはやはり特筆に値する。本田圭佑は、あらためて圧倒的な存在感を示したのである。

 昨年8月末に右ひざを痛めて手術を余儀なくされ、復帰直後の今年3月にも左太ももを痛めた本田。シーズン終盤の時点では、彼が最終予選に間に合うかどうかはかなり微妙と見られていた。本田不在の3次予選では、柏木陽介、長谷部、中村憲剛とトップ下が何人か入れ替わったものの、前線でタメが作れず攻撃が単調になりがち。結果的に北朝鮮とウズベキスタンに2敗している。それだけに、アルベルト・ザッケローニ監督もやきもきしたに違いない。

「僕の中では1カ月前に90分間やれるっていう想定はできていた。メディアの皆さんとは考え方が違います」と彼は普段通りの強気な口ぶりで懸念を一蹴(いっしゅう)したが、先月23日のアゼルバイジャン戦の時点では入念なケアを施さなければならない状態だったという。本当に3連戦を乗り切れるかどうかも、実際に始まってみなければ分からなかったはずだ。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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