覚醒したファンタジスタ・並里成 スラムダンク奨学生第1期生の現在位置〜完結編〜=bjリーグファイナル

河合麗子

3季ぶり2度目の優勝を果たした琉球ゴールデンキングス。その中心となったのが司令塔の並里だった 【(C)AFLO SPORT/bj-league】

 プロバスケットボール・bjリーグの2011−12シーズンファイナルは20日、東京・有明コロシアムで行われ、琉球ゴールデンキングスが前季覇者の浜松・東三河フェニックスを89−73で下し、3季ぶり2度目の優勝を飾った。9402人とプレーオフ史上最多観客数を集めた会場には多くの琉球ブースターが集結。有明コロシアムは沖縄のゴールド色に染まった。
 一戦必勝のプレーオフ。全選手ががむしゃらにゴールを狙うなか、独創的なプレーでチームをけん引したのは22歳の若き司令塔、並里成(なみざとなりと)だった。NBA挑戦を表明する並里にとって、今季はこれまでのバスケット人生の中で最も苦しいシーズンだった。

期待という大きなプレッシャーとの戦い

“沖縄のファンタジスタ”と呼ばれ、周囲からは常に大きな期待を寄せられた。しかし、それがプレッシャーになることも 【(C)AFLO SPORT/bj-league】

 シーズン前にNBA挑戦を試みた並里であったが、当時現場は労使交渉が難航し、ロックアウト(経営者の施設封鎖)状態。行き場を失った並里は、bjリーグの特例措置で地元沖縄、琉球への入団を果たした。

“沖縄のファンタジスタ”並里の入団に地元は沸き、マスコミが連日取材に訪れた。
 福岡第一高で全国制覇を成し遂げ、U−18日本代表に選出され、そしてスラムダンク奨学生第1期生にも選ばれた。輝かしい経歴を持つ彼だが、それは全て沖縄県外で経験したこと。この経歴をひっさげての地元凱旋が、これほど県民の期待を高め、プレッシャーとして重くのしかかることになろうとは、彼自身予想していなかったことだった。
 寄せられる期待に「ハードルが一気に上がった」という並里だが、負けん気の強い彼は「優勝」を公言し続けた。しかし、シーズン中のあるアクシデントが彼をさらに苦しめることとなる。

 12月のアウエー大分戦、ジャンプ後に右手首から転倒した並里は、利き手を故障してしまった。並里が平均2回超のターンオーバー数に苦しんだことは先のコラム(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/basket/text/201205110003-spnavi.html)で紹介したが、実は原因は周囲が指摘する「疲れ」だけではなく、この負傷も要因の一つだったのだ。
 並里いわく「痛みが出たり良くなったり」する右手首は、試合には出られるものの、時にパスやシュートの精度を狂わせた。

「プレッシャーがさらに強まり、優勝を毎日意識する日々、正直きつかった」。並里は当時をこう振り返る。
 しかし「負傷を言い訳にしたくない」と、司令塔としてコートに立ち続けることにこだわった並里はレギュラーシーズン全52試合に出場。ターンオーバーの数も改善に取り組み続けた。

プレッシャーが支えに変った瞬間

観客の声援がプレッシャーから支えに変わる。並里は県民の期待に応えてみせた 【(C)AFLO SPORT/bj-league】

 そうして迎えた地元沖縄での最終戦、ウエスタン・カンファレンスのセミファイナル。第4クオーター、滋賀レイクスターズに2点差まで詰められた琉球だったが、ここで並里が流れを引き戻す2連続シュートに成功。さらに琉球得意のリバウンドから並里、アンソニー・マクヘンリー(米国)とつないで滋賀を8点差に突き放し勝利を決定付けると、満員の会場から大きな歓声が起こった。
 彼はその歓声に対して、手を耳にあてる仕草でさらに観客をあおった。
「気持ちよかったです。ずっと感じていたかった。琉球ブースターが日本一だと思いました」
「大きなプレッシャー」が「大きな支え」に変った瞬間だった。

 試合後、両足両肩をアイシングでいつもぐるぐる巻きにする彼だが、“手首”には“右だけ”アイシングがあった。彼が垣間見せた不安はこのわずかな左右の違いだけ。その右手でブースターと笑顔でハイタッチする様子に、県民の期待を一身に担う司令塔の姿を見た。

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著者プロフィール

熊本県出身、元琉球朝日放送・熊本県民テレビアナウンサー。これまでニュース番組を中心にキャスター・リポーター・ディレクターなどを務め、スポーツ・教育・経済・観光などをテーマに九州・沖縄をフィールドに取材活動を行う。2016年4月の熊本地震では益城町に住む両親が被災した。

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