藤波辰爾インタビュー「本当の凄さを見せられるのは“これから”なんです」

提供:イープラス

「未だにリングに上がるのが怖いんですよ」

プロレスこそが我が人生、プロレス以外に道はなし 【(C)イープラス】

――40年間プロレスを続けてこられた一番の秘訣というのは何なんでしょう?

「プロレスが好きだからこそだよね。お客さんが僕らに拍手をしてくれるのもあるし。みんなそれぞれプロレスラーを夢見て入ってくる選手ばかりなんだろうけど、僕はプロレスが本当に人生最大の目標であり、夢だったしね。だって、レスラーになれる要素がまったくゼロだったわけだから。格闘技の経験があるわけじゃない。身体に恵まれているわけじゃない。それに、押しかけ入門で入っているんだから」

――正直、これまでにプロレスを嫌いになったことは?

「無かったと言ったらウソになるだろうけど、それはリング上のことじゃないから。新日本にいた頃はいろんなドロドロした話があって、そういう時はプロレスから離れたいという気持ちは多少あったけど。でも、それはリングから離れたいというのとは違ったんだよね」

――プロレスラーになる前に戻れたとしても、他の職業に就きたいとは思わない?

「思わない。僕からプロレスを取ったら何もないもの。本当に何もない。プロレス界に入る前、中学校を出てから繋ぎとして一応手に職を付けようと自動車の専門学校に行ったけど、それはプロレスラーになるための準備期間であってね。それ以外は何もやってないから。ただ、僕の場合、プロレスラーになりたいと思ったのは、強くなりたいとか、リングに憧れたのだけじゃなく、海外に出たいという気持ちが物凄くありましたから。プロレスラーになってなくても、何らかの形で海外には出ていたでしょうね」

――“あの時、ああしておけば良かった”という後悔もないんですか?

「それもないですね。例えば、僕はまだ入門して半年足らずで、猪木さんに付いて新日本プロレスに行くか。それとも日本プロレスに残るか。それを選ばなくちゃいけない岐路に立ったんだけど、その時の選択も自分の場合は正解だったと思うし。もちろん猪木さんの付き人をやっていたから、自動的に迷うこともなくそっちに行ったんですけどね。1つ言わせてもらえば、現役からは引退しているけど、猪木さんはまだ存在しているわけですよね。“元気ですか!?”って。リングに上がる上がらないは別として、まだ自分の心の中で猪木さんは1つの大きな目標でもあるんですよ。こんなこと言ったらあれだけど、もし猪木さんの存在がなくなったら、自分がどういう身の振り方をすればいいのか、それが一番怖いですよ。僕の場合は、猪木さんは嫌でも切り離せないからね」

――もし自分が藤波さんの立場だったら、猪木さんを嫌いになるんじゃないかと想像してしまうんですが(苦笑)

「それはもちろん方向性が違ったりしたことは何回もありましたよ。でも、自分がどこから始まったのかを考えたら、それは猪木さんじゃないですか。嫌いだって意識するのは、裏を返せば好きなんですよ。その時その時の距離の取り様はいろいろあってもね」

――40年間で何千試合もやっている中で、どうやってモチベーションを保っているんですか?

「若い時と今は確かに違いますけど、僕の場合は未だにリングに上がるのが怖いんですよ。もともと格闘技を知らないで入っていて、バックボーンがないから、リングに上がる時はすぐ自動的に気持ちが変わっちゃうんですね。それは、“よし、頑張るぞ”というモチベーションじゃなくて、恐怖心だから。それが僕にとってはいい方にいってるんですよね。どんな小さな会場で、どんな選手と当たろうが怖いです」

「この大会で“金曜夜8時のプロレス”を復活させたい」

――4月20日に行われるドラディション後楽園ホール大会のポスターには“新たな挑戦”と書かれていますけれど、今回の試合でTEAM2000と対戦するというのは意外ですよね

「意外でしょ? これは蝶野が突如参加を宣言したんだよね。蝶野が入ってない状態でポスターを作ったんだけど、それはまるまる全部使ってないの(苦笑)。参戦を発表した次の日に最初のポスターが完成したから、すぐに作り直してね。蝶野は僕の40周年を知ってて、彼も今は試合数が少なくなってるから、そこでやりたいことがあると。TEAM2000も新日本の時に自然消滅しているから、もう1試合して区切りを付けたいということでね。ちょうどこっちにもレジェンドとして、僕と長州力、初代タイガーマスクの3人がいたんで、そのままストレートに対決することになったんだけどね」

――このレジェンド3人が組むと、どうしても対戦相手にとって厳しい展開を予想してしまうんですが、そこにTEAM2000が入ると、“オッ?”と思いますよね

「その名前が付くことによってね。他にも藤原(喜明)や関本たちも出る。みんなそれぞれ対戦カードが難しかったんだけどね。特別ゲストの前田日明をどこ出すのかも考えなきゃいけないし。“藤波さん、よくこれだけの選手を集めましたね”と周りがビックリしているんだよね」

――今回は前田さんとトークショーをやるわけではなく、別の形を考えているんですか?

「トークショーはないですね。6試合もありますし、前にもやっているんで。でも、前田もそれなりに良い形で登場させたいんでね。できれば、彼が裸で出てくるような場面も作りたいんですよ」

――以前から藤波さんは前田さんの現役復帰を熱望してますよね

「僕の使命はそこですから。彼にレガースを付けて、リングに上がってもらいたいという」

――前田さん自身はあまり乗る気じゃないようにも見えるんですが(苦笑)

「それは分かりません。人のことだからね。ただ、彼もお客さんの歓声を自分で感じているわけだから、それをどういう風にするか。彼はリングスで引退したんでしょ。僕からすると、それは引退じゃないような気もするしね」

――前田さんの登場の仕方は当日のお楽しみと。でも、もし一同がリングに並んだら錚々たるメンバーですよね

「一応猪木さんにも声を掛けているんで、大会のことは耳に入っていると思います。まあ、猪木さんの場合は突如としていろんな用事が入るので、スケジュール的には分かりませんけど。でも、これでもし最後に猪木さんが登場してくれれば、“金曜夜8時のプロレス”がそこに復活するわけだから。だから、大会も金曜日に合わせたんだよね」

――ドラディションとしても久々の後楽園ホール大会ですし、インパクトを残す興行になりそうです

「本当に“新たな挑戦”というぐらいだから、40年やってきて、“さあ、次は何をやろう?”ということだよね。5月5日には巌流島で試合もやるけど、これからは僕の試合1つ1つに、なにか付加価値というか、テーマを付けていかないと。やっぱりこれだけやってくると、惰性になっちゃう部分もあるんだよね。だから、メモリアルな試合をしていきたいなというのがあって」

――自分なりの終着点、ゴールを意識しています?

「僕の場合、引退セレモニーはしません。今後のリングに上がる回数は分からないけどね。でも、今はリングを自分から切り離すというのは頭にないね」

「まだ60歳にもなってないんだから、やって当たり前ですよ」

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――年齢的にも肉体的にも現役としてのタイムリミットが迫っていると思いますか?

「思わないね。確かにきついといえばきついけど、どこかでそれを補うように、体力作りなりをしていって。その辺は試合数にしろ、調整すればいいことだよね。本当に“これから”ですよ。無茶な言い方かもしれないけど、プロレスラー・藤波辰爾の凄さを見せられるのはこれからだと思います。だから、僕は“新たな挑戦”と言ったの。20代から30代、40代と来て、そこからは段々下り坂になるって言うけど、僕はそこからさらに20年やってきたわけでしょ。年齢は58歳で、キャリアは40年。今までも含めて、一番凄いことを見せられるのはこれからですよ。だから、僕にとっては今後の方が楽しみですね」

――藤波さんが人生の中で一番の思い出を選べと言われたら、何を挙げますか?

「僕がアメリカからチャンピオンとして帰ってきて、今の女房と結婚して、それを皆さんに祝福してもらった時は、一番レスラー冥利にも尽きたし、人生最大の幸せだったね。それ以外だと、ある意味では一番自分にとって試練だったんだけど、猪木さんとアフリカに行って、置いてこられたことだね(笑)」

――テレビ番組の収録に付き人として同行していたんですよね

「まだ19歳の時だよ。アフリカと言っても街中じゃなく、ジャングルの中にあるテントに置いてけぼりを食らったんだからね。これはもう忘れられないですよ」

――でも、先ほどの話で言うなら、この先にはさらにそれ以上の出来事があるかもしれませんね

「そうだね。実はこの大会の後に、お世話になった方を招待して40周年のパーティーをやるんで、その時にお披露目というか、発表しようかなと思っていることがあるんですよ。もちろんプロレスを軸にしたことなんだけど、それを取り巻くいろんな活動をしていきたいんだよね。だから、“新たな挑戦”と入れたわけで。と言って、政治家になるんじゃないよ(笑)」

――今は世の中に不安を感じている人も多いでしょうけど、藤波さんは今後を見据えてウズウズしてると

「不安は誰にでもあるけど、それはその時になってみなきゃ分からないんで。確かに先を読んで、いろんなことを計算しながらやるのもいいんだろうけど。その時になったら、自分がどうやってケジメを付けるかだよね。特にプロレス界は今が一番大変じゃないですか。僕らが新日本にいた頃と違って、今の方が不安な時代だし。でも、そんな中で自分がどう過ごしていくかですよね。興行的にきついのは当たり前。それはプロレスだけじゃなく、みんなそれぞれきついんだから、その中でプロレスをやれるという幸せを感じますよ。じゃあ、これからどう違ったやり方をするのかということで言えば、自分の中でちょうどいい転換期じゃないかって思います」

――今は20〜30代という若い層も考え込んでしまっていますからね

「30歳なんてまだ子供ですよ。僕が36歳の時、猪木さんと60分戦ったけど、その時の猪木さんは何歳だったか知ってます? 46歳ですよ。あの時の猪木さんは化け物。僕は一番脂が乗っかった時期だから当たり前だけど、10歳年下の僕と60分戦った猪木さんの、あの負けん気とプライドの高さはただものじゃなかったですから」

――その猪木さんも元気なわけですから、藤波さんも負けていられないと

「そうですね。僕もいろんな人の言葉であったり、書いた文章であったり、それを拾いながら自分のものにして、自分自身を元気づけたりするんですよ。さっき言った“本当の凄さを見せられるのはこれから”というのも、実は誰かの言葉であって。その人が言うには、70歳まではそれぞれ歳を取ってもいろいろとやれるけれど、70歳を過ぎると行動では頑張れなくなると。だから、70歳を過ぎてからやる全ての行動は“奇跡”になるんだって。それが本当の凄さなんだって言うんだよね。自分の場合はそれの受け売りで言っているだけなんですよ(苦笑)。でもね、僕はまだ60歳にもなってないんだから、やって当たり前なんです」

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