【ラグビー/NTTリーグワン】未来をつかみ取るために。 大一番で初のメンバー入りを果たした男は恐れずに前へと進む<リコーブラックラムズ東京>
リコーブラックラムズ東京 大内真選手 【©ジャパンラグビーリーグワン】
NECグリーンロケッツ東葛とのD1/D2入替戦第2戦を迎えるリコーブラックラムズ東京(以下、BR東京)。
第1戦では前半19分に武井日向が渾身の先制トライを決めたが、その代償はあまりにも大きかった。
右足を負傷し、そのまま途中交替。それでも、ピッチに立つ15人はキャプテンの背中に触発され、その後、5トライを重ねると40対21で勝利を収めた。
ゆえに第2戦では、武井の出場が叶わない。あとを託されたフッカーは、小池一宏と大内真。大内はこれがBR東京での初のメンバー入りとなった。
大内はいささか不思議な経歴を有する。
広島で生まれ育ちながら、高校は山梨の公立校へ進学。高校卒業後はニュージーランドへ渡り、現在もワイカト大学の学生である(現在休学中)。プロ選手として日本のチームと初めて契約を結んだのは2019年のこと。ところが、頸椎に大けがを負い、公式戦に出場することなくチームを去った。トップリーグ初出場をつかんだのは2021年、東芝ブレイブルーパス(当時)でのこと。その間、引っ越しや宅配便のアルバイト生活を1年以上続けた。
一方で実家は1190年代に創建した由緒正しき寺であり、父(大内寛文)は元ラグビー日本代表のナンバーエイトにして僧侶。自らも、近い将来にはそのあとを受け継ぐ予定だ。
今季、東芝ブレイブルーパス東京から移籍すると、好調なプレシーズンを過ごした。だが、開幕直前に行われた合宿で足を負傷し、苦しいシーズンが始まった。
治っても足を引きずってしまい、思うような練習に取り組めない日々は続く。
そんなときに思い出すのは、高校の恩師に言われた「泥は食べられる」という言葉だった。
体が動かないのは、しんどいからではない。頭の中で“しんどい”と思い込んでいるからだ。
だから、まだまだやれる。
愚直にリハビリを重ねた大内は、シーズン最終戦の大一番でメンバー入りを果たした。
高校時代から互いにキャプテンとして対戦してきた同い年の武井は、グラウンド練習時、さりげなく側に寄り添った。「大丈夫、おまえなら絶対できる」、「ナイススロー」と声を掛け続ける。
武井は言う。「一番応援しています」
実家の長善寺には、『進者往生極楽 退者無間地獄』と記された旗がある。天正4年(1576年)、石山合戦で織田軍に包囲された石山本願寺へ船で物資を届けるときに、舳先へ掲げたものだ。
「このまま待っていたら、永遠に支配される地獄が待っている。進まなければ未来は見えない」という意味がある、と大内は説明した。
奇しくも似通う、現在の状況。
待っているのではない。チームとして、そして、“大内真”として未来をつかみ取るため、恐れずに進むとき。
来季もD1で戦うために。
5月25日(土)14時30分に、相模原ギオンスタジアムでラストホイッスルは鳴る。
(原田友莉子)
第1戦では前半19分に武井日向が渾身の先制トライを決めたが、その代償はあまりにも大きかった。
右足を負傷し、そのまま途中交替。それでも、ピッチに立つ15人はキャプテンの背中に触発され、その後、5トライを重ねると40対21で勝利を収めた。
ゆえに第2戦では、武井の出場が叶わない。あとを託されたフッカーは、小池一宏と大内真。大内はこれがBR東京での初のメンバー入りとなった。
大内はいささか不思議な経歴を有する。
広島で生まれ育ちながら、高校は山梨の公立校へ進学。高校卒業後はニュージーランドへ渡り、現在もワイカト大学の学生である(現在休学中)。プロ選手として日本のチームと初めて契約を結んだのは2019年のこと。ところが、頸椎に大けがを負い、公式戦に出場することなくチームを去った。トップリーグ初出場をつかんだのは2021年、東芝ブレイブルーパス(当時)でのこと。その間、引っ越しや宅配便のアルバイト生活を1年以上続けた。
一方で実家は1190年代に創建した由緒正しき寺であり、父(大内寛文)は元ラグビー日本代表のナンバーエイトにして僧侶。自らも、近い将来にはそのあとを受け継ぐ予定だ。
今季、東芝ブレイブルーパス東京から移籍すると、好調なプレシーズンを過ごした。だが、開幕直前に行われた合宿で足を負傷し、苦しいシーズンが始まった。
治っても足を引きずってしまい、思うような練習に取り組めない日々は続く。
そんなときに思い出すのは、高校の恩師に言われた「泥は食べられる」という言葉だった。
体が動かないのは、しんどいからではない。頭の中で“しんどい”と思い込んでいるからだ。
だから、まだまだやれる。
愚直にリハビリを重ねた大内は、シーズン最終戦の大一番でメンバー入りを果たした。
高校時代から互いにキャプテンとして対戦してきた同い年の武井は、グラウンド練習時、さりげなく側に寄り添った。「大丈夫、おまえなら絶対できる」、「ナイススロー」と声を掛け続ける。
武井は言う。「一番応援しています」
実家の長善寺には、『進者往生極楽 退者無間地獄』と記された旗がある。天正4年(1576年)、石山合戦で織田軍に包囲された石山本願寺へ船で物資を届けるときに、舳先へ掲げたものだ。
「このまま待っていたら、永遠に支配される地獄が待っている。進まなければ未来は見えない」という意味がある、と大内は説明した。
奇しくも似通う、現在の状況。
待っているのではない。チームとして、そして、“大内真”として未来をつかみ取るため、恐れずに進むとき。
来季もD1で戦うために。
5月25日(土)14時30分に、相模原ギオンスタジアムでラストホイッスルは鳴る。
(原田友莉子)
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