もう一つの希望の星・ベガルタ仙台レディース=休部、チーム移管乗り越え再スタート

小林健志

東京電力女子サッカー部マリーゼからチーム移管され、今年2月1日にベガルタ仙台レディースが正式に発足した 【小林健志】

 4月14日、ベガルタ仙台は昨シーズンのJ1覇者・柏レイソルを敵地で3−2と破り、首位をキープした。昨シーズンに続き、仙台は被災地の希望の星として全力の戦いを続けている。
 そしてその翌日、もう一つの希望の星がユアテックスタジアム仙台に初めて姿を現した。東京電力女子サッカー部マリーゼからチーム移管されたベガルタ仙台レディース。そのホーム開幕戦が行われ、仙台の大観衆に選手たちは温かく迎えられた。

「たくさんの方々のおかげでここにいる」

 まず仙台レディース設立の経緯から説明したい。昨年3月11日に起きた東日本大震災の影響により福島第一原子力発電所で事故が起き、東電マリーゼは休部を余儀なくされた。移籍して別のチームで活躍した選手も何名かはいたが、多くは1年間サッカーをすることができなかった。

 そこで、ほかのJクラブへの移管が検討された。何クラブかが名乗りを上げ、東京電力が検討した結果、仙台が最優先の移管先候補に決定。昨年10月13日、日本女子サッカーリーグ(Lリーグ)理事会において、交渉合意の際には2012シーズンはチャレンジリーグ(なでしこリーグの下部にあたる2部リーグ)に加盟することが承認された。そして、昨年11月15日、交渉が合意に達し、仙台レディースの発足が発表された。

 このような経緯を経て、2月1日に仙台レディースは正式に発足した。東電マリーゼ時代は全員が東京電力の社員だったが、選手たちはそれぞれのスポンサー企業で15時まで勤務した後、16時半より練習を行う生活を始めた。

 2月1日のチーム発足記者会見でキャプテンの下小鶴綾は「またみんなでサッカーをする場を与えて下さったベガルタ仙台には、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。そして今回のチーム移管に協力して下さった東京電力、元マリーゼのスタッフ、それ以外にも本当にたくさんの方々のお力のおかげで、今ここにわたしたちはいられると思っています。そういう方々に恩返しの意味でも、わたしたちは感謝という気持ちをしっかりと胸に刻んで日々トレーニングしていきたいと思っています」と涙ぐみながら、仙台のみならず福島で支えてくれた方々にも感謝の気持ちを語った。

 こうしてかつてマリーゼに所属していた18名の選手と2名の新加入選手は、仙台の地で再びサッカーを始めた。

常盤木学園とともに女子サッカーを発展させたい

 2月の間は雪も多く厳しい環境の中、仙台レディースはジュニアユースなどと練習試合を行いながら調整した。仙台市はJヴィレッジのあった福島県楢葉町・広野町よりも雪が多く、今年最初の練習試合は大雪の中だったが、選手たちは夢中で試合をしていた。3月には関東でキャンプを行い、なでしこリーグのチームに勝利するなど、大きな手応えを得た。

 そして迎えた4月8日、チャレンジリーグ開幕戦が静岡県の御殿場高原時之栖グラウンドにて行われた。対戦相手はかつて同じJヴィレッジで練習をしていたJFAアカデミー福島。試合は終盤まで0−0で推移する厳しい試合だったが、83分に上辻佑実のコーナーキックから坂井優紀がヘディングシュートを決めて1−0で勝利。幸先良いスタートを切った。

 続く第2節はいよいよホーム開幕戦。ユアテックスタジアム仙台で、チャレンジリーグ2年連続優勝の強豪、常盤木学園高と対戦することとなり、“仙台ダービー”は試合前から地元メディアの注目の的となった。

 試合前の会見で千葉泰伸監督は「絶対勝ち点3を取りたい」と意気込みを語った後、「まずわれわれは初めてできたチームですが、常盤木学園は高校の中でも強豪チームで全国に名を連ねています。その中でお互いに女子のサッカーを広げるためにいい試合をしたいと思います」と長らく女子サッカー発展に大きく貢献してきた常盤木学園高とともに、女子サッカーを発展させたいという思いも口にした。宮城に女子サッカーを根づかせるためにも重要な試合だった。

 そしてついに4月15日、試合の日を迎えた。

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著者プロフィール

1976年、静岡県静岡市清水区生まれ。大学進学で宮城県仙台市に引っ越したのがきっかけでベガルタ仙台と出会い、2006年よりフリーライターとして活動。各種媒体でベガルタ仙台についての情報発信をするほか、育成年代の取材も精力的に行っている

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