石川遼がマスターズへの過程で得たもの
広がった米ツアー参戦のチャンスと今季のスイング

マスターズ自力出場へ、ボーダーライン上の戦い

3月のプエルトリコオープンで2位に入り、米ツアーの特別一時会員資格を得た石川遼。しかし、マスターズまでに世界ランキング50位に入ることはできなかった
3月のプエルトリコオープンで2位に入り、米ツアーの特別一時会員資格を得た石川遼。しかし、マスターズまでに世界ランキング50位に入ることはできなかった【Getty Images】

 石川遼は果たして今年のマスターズに出られるのかどうか、昨年末からラストチャンスとされていた3月25日まで、ゴルフファンはワールドランキングの動向に一喜一憂してきたのではないだろうか。最終的には、3月6日にマスターズ委員会が石川遼の特別推薦を決め、結果的にワールドランキング50位にこだわる必要はなくなってしまったのだが、その発表があるまでは、50位のボーダーラインをめぐる綱渡りのような危うい戦いを石川は強いられていた。


 石川自身は、昨年度の日本ツアー終了時点では、「ワールドランキングは気にしていない」と発言していたものの、12月のタイゴルフ選手権(15日〜18日・アマタスプリングス)、そして3月のプエルトリコオープン(8日〜11日・トランプインターナショナル)への出場などは、やはり50位というマスターズ行き切符を無条件で手にできるワールドランキングをにらみつつの戦いだったのは明らかだ。


 日本ツアー終了後の過密スケジュールを押してのタイゴルフ選手権は、石川にとってアジアンツアー初挑戦でもあった。この大会で36位以内に入れば、自動的にマスターズに招待される昨年末時点でのワールドランキング50位以内は確保できると試算されていたのだ。しかし、結果は58位に終わり、ワールドランキングを1つ落とし51位で年末を迎えてしまった。


 1月に開催されたソニーオープンinハワイ(12日〜15日・ワイアラエCC)に石川は初参戦。予選落ちながらもワールドランキングは48位にアップ。しかし、次の週には試合に出ていなかった石川はランキングを3つ落とし51位で同月のファーマーズ・インシュアランスオープン(26日〜29日・トーリーパインズCC南C)を迎えた。ここで13位タイと健闘し石川のワールドランキングは50位に再び返り咲いた。

ランキングを落とすも「特別推薦」でのマスターズ出場が決まる

 2月に再渡米して挑んだノーザントラストオープン(16日〜19日・リビエラCC)で予選は通過しただけで72位タイと低迷してワールドランキングは56位へと転落。「ちょっと乱れ始めると全然勝負にならない」、「ここまで来たら、いまさら焦ってもしょうがない」とコメントしていた石川。続くアクセンチュアマッチプレーで少なくとも3回戦まで勝ち進まないと、ワールドランキング50位以内が出場の条件となるWGCキャデラック選手権(3月8日〜11日・TPCブルーモンスター)に出られなくなってしまった。


 しかし、マッチプレーでは2回戦敗退。ワールドランキングは2つ上がっただけで54位。そこでWGCの同週、裏トーナメントとも言うべきプエルトリコオープンに急きょ出場を打診したのだ。上位選手はことごとくWGCに出ているため、同オープン出場選手の中で石川はトップランカーだ。上位フィニッシュの可能性は高い。だがワールドランキングの同オープンへのポイント配分はキャデラックの3分の1程度。その開幕直前の3月6日にマスターズ委員会が石川遼の「特別推薦」を決めた。推薦の理由をオーガスタナショナルGCのビリー・ペイン会長は「石川の出場が日本だけではなく、アジアでのゴルフへの関心が高まりつながる」と語ったが、つまり、石川は日本ばかりではなく、アジアの期待も背負って戦うことになったのである。


 これまで日本ツアーの賞金ランキング上位の日本人選手が「特別招待」された例は過去にもあった。昨年の石川の賞金ランキングは3位でも、常にワールドランキングは日本人トップをキープしてきたというのも推薦される要素にはなっていたのであろう。

 プエルトリコオープンで単独2位になった石川のワールドランキングは47位。そして、PGAツアーメンバー以外の選手は年間出場試合数を12試合に制限されているが、昨年の賞金ランキング150位(約41万ドル)を上回る58万8000ドルを稼いだ石川は推薦さえもらえれば無制限にPGAツアーに出られる「特別一時会員」の資格を得られることになった。また今季さらに10万ドルほど上積みすれば、賞金ランキング125位以内に入り、PGAツアーのシード獲得も夢ではなく、現実に手が届くものになったのだ。

久保田千春

1948年東京生まれ。長らく週刊ゴルフダイジェストでトーナメント担当として世界4メジャーを始め国内外の男子ツアーを取材。91年から今も続く週刊ゴルフダイジェストの連載「ノンフィクションファイル」を立ち上げ担当して編集作業を行う傍ら自らも執筆。フリーとなった今も同連載に寄稿している。2007年にアマチュアだった石川遼のツアー優勝以後、石川勝美氏の依頼により「バーディは気持ち」の編集作業を担当し、その過程で石川家と親しく交流するようになった。それが縁となり武蔵野千のペンネームで週刊ゴルフダイジェスト連載の「遼くん日記」の原作を08年から12年まで執筆。現在は同誌で「迷ったとき、ユハラにかえれ!」を執筆中。91年に当時のツアーオブジャパンの依頼で日本ゴルフ雑誌記者協会を創立し、ゴルフダイジェストを退職した08年まで同協会会長を務める。また、ここ20年ほど世界ゴルフ殿堂に委嘱されインターナショナル部門の選考も行っている。

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