清水邦広、自分のプレーを取り戻すために=バレーW杯での挫折と新たなる戦い

市川忍

バレーボール人生に初めて現れた大きな壁

バレーW杯で全日本男子は10位に終わり、清水(中央)も力を発揮できなかった 【坂本清】

 2月25日に行われたV・プレミアリーグ男子の大分三好ヴァイセアドラー戦で勝利を収めたパナソニックパンサーズは、一足先にレギュラーラウンドを突破した東レアローズに次いで2チーム目となるベスト4入りを決めた。
 昨年のバレーワールドカップ(W杯)日本大会に5名の全日本選手を輩出したパナソニック。V・プレミアリーグ2011/12シーズン終了後の今年6月、日本で行われるロンドン五輪世界最終予選に向けて代表選手の様子が気になるところだが、そんな中でも特に注目したいのが、全日本でもパナソニックでも攻撃の鍵を握る清水邦広の現在の状態だ。

 昨年11月、日本で開催されたW杯を全日本男子は2勝9敗、全12チーム中10位で終えた。99年大会と並ぶ過去最低の成績だった。清水は2007年、東海大学在学時代に初めて全日本入りを果たし、その年のW杯にも出場。翌年、北京五輪でも最終エントリーに残り、09年のワールドグランドチャンピオンズカップでは日本を32年ぶりの銅メダル獲得に導いた。

 海外の高いブロックを相手に、決して物おじせず、真っ向勝負を挑む。チームが劣勢でも、常に笑顔で伸び伸びとプレーをする清水がスパイクを決めると、何よりチームのムードがよくなった。1点以上の価値がある、チームを勢いづかせるスパイクを決めることができるアタッカーである。

 09/10年には所属チームであるパナソニックの優勝に貢献。当然のことながら、昨年のW杯でも清水には大きな期待が寄せられていた。ところが、20点以降の勝負どころでスパイクミスを連発。首脳陣からは精神的な脆さを指摘され、試合後、涙を流す姿もクローズアップされた。笑顔は消え、会見に現れたその顔には焦燥感が漂っていた。順風満帆に思えた清水のバレーボール人生に、初めて現れた大きな壁だった。

W杯後に陥ったスパイクフォームの乱れ

全日本から所属のパナソニックに戻り、清水(左)はスパイクフォームの修正に取り組んでいる 【写真は共同】

 W杯が終了した直後に開催された天皇杯の最中、パナソニックの南部正司監督は清水についてこう語っていた。
「W杯を見ていて最も気になったのが、上体を反らす“ため”がないまま、いつも自分の前方でボールを打っている彼のスパイクフォームでした。これは早急に修正しなくてはいけないと思いました」

 パナソニックに戻った清水に南部監督が求めた技術面での修正点は2つだった。まず、1つめはスパイク時の助走である。全日本の方針であったスピードのあるトスに対応しようと、助走の勢いが弱まっていることを南部監督は指摘した。そのせいでジャンプ力も落ち、同時に十分な「ため」を作れずに手だけで打つようになっていたと指揮官は話す。

「スピードのあるトスに合わせようとしているうちに、どのタイミングで助走を始めればいいのか迷ったのだと思います。そのうちに思い切ってスパイク動作に入れなくなり、自分の助走のタイミングがあやふやになってしまった。清水の助走への入り方が毎回違うのでセッターは混乱し、トスが合わなくなる。本来のフォームで打てない上に、セッターとの息まで合わなくなるという悪循環に陥ったのではないでしょうか」(南部監督)

 背筋を使わず手打ちになれば当然、ボールに体重は乗らない。力の弱いスパイクはたとえブロックを抜いても拾われやすくなる。助走への入り方をきっかけに、フォームが乱れ、清水の最大の武器であるパワフルなスパイクが影をひそめる原因となっていたのだ。

 もう1つの修正点は清水だけではなく、セッターにも関わることだった。全日本でもコンビを組んだセッターの宇佐美大輔は言う。
「まずは清水が高いポイントで打てるように、トスの距離を伸ばして、ボールを浮かすようなイメージで上げています。スピードより、とにかく打点を生かそうという方針です」

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著者プロフィール

フリーランスライター/「Number」(文藝春秋)、「Sportiva」(集英社)などで執筆。プロ野球、男子バレーボールを中心に活動中。

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