山村和也、不完全燃焼感が色濃く残った復帰戦=ブランクを埋められず、試合勘不足を露呈

元川悦子

終了間際の失点にショックを隠しきれず

復帰戦となった山村だが、自身の役割を全うできず、試合勘不足を露呈してしまった 【写真は共同】

 1−1で迎えた試合終了間際、ロングスローからのクリアボールをシリアのDFアルサリフに拾われた。屈強なセンターバックは一か八かで遠目の位置から強引にシュートを放ってきた。ドライブがかかった弾道のボールはゴール枠内ギリギリの絶妙な位置に飛び、守護神・権田修一も止めきれない。これこそが、日本を奈落の底に突き落とす2点目をシリアが奪った瞬間であった。

 ベンチからこの光景を目の当たりにしたキャプテン・山村和也はショックを隠しきれなかった。
「最後の最後で失点してしまって……。正直、勝ち点が欲しい気持ちが強かった分、最後の最後で取られたのが痛かったですね」

 彼にとって、5日のロンドン五輪アジア最終予選の天王山・シリア戦(アンマン)は待ちに待った公式戦復帰ゲームだった。昨年9月の初戦・マレーシア戦(鳥栖)直後に左第5中足骨亀裂骨折を負っていることが判明。手術を余儀なくされた。2010年アジア大会(広州)の関塚ジャパン発足時からキャプテンを任されてきた男にとって、最終予選真っ只中での長期離脱は大きなダメージだったに違いない。早期復帰を目指してリハビリに励みつつ、11月のホーム・シリア戦(東京・国立)ではチームメートを激励するなど、常に五輪代表の動向を気にしていた。

 今回の大一番に懸ける思いも強く、グアム、カタール合宿では精力的に追い込みをかけてきた。決戦前日にも「シリアは勝ちに来ると思うんで、受け身にならずしっかりとやっていきたい」とあらためて意欲を示すなど、本人はいい準備ができたと考えていたようだった。

明らかだった試合勘の不足

 ところが、実際ゲームが始まってみると背番号8には以前のような輝きが感じられなかった。ボールを持ってもミスパスが目立ち、一瞬のサポートや反応の遅れが気になった。ゴールチャンスをおぜん立てするようなシーンもほとんどない。本人は「コンディションは問題ない」と強調していたが、やはり4カ月間のブランクを埋めるのは容易でなく、試合勘の不足は明らかだった。

 関塚隆監督が山村に一番期待していた「中盤でボールを落ち着かせる」という重要な役割もこなしきれなかった。人数をかけて激しく奪いに来るシリアの球際の激しさやプレッシャーに戸惑ったのか、ボールを奪われたり、バランスを崩した状態で味方にバックパスをしたりと、どうも彼らしくないパフォーマンスが続いたのだ。

「後ろが全然落ち着かない状態でボール回しをしていて、前で抑えるしかなかった。前にボールが来るのが少なかったというのが全体的な印象だった」とトップ下で奮闘した山田直輝がコメントしていたが、ボランチから効果的なパスが前線に供給されなければ、決定機はおのずと少なくなる。山村自身も「相手だけでなくこっちまでロングボール主体になってしまい、ボールを落ち着かせるところがなかった。自分たちのサッカーから遠いプレーが多くなって、流れもつかめなかった」と責任を感じていた。彼の最大の武器であるボールキープ力と展開力を示せなかったのは、やはり不完全燃焼に違いない。

 守備面でも、前半はロングボールを蹴り込んでくる相手に合わせて、コンビを組んだ山口蛍とともにポジションを下げすぎ、相手ボランチをフリーにしてしまった。「高さと体の強さを生かしながら、山村はよく耐えてくれた」と関塚監督はねぎらったが、本人にしてみれば、後半30分での途中交代を含め、満足できる働きではなかったはずだ。

 キャプテンとして肝心な時にチームを鼓舞できなかったことも反省点だろう。特に山崎亮平が左腕を負傷し、大迫勇也が入った矢先にFKから失点した場面については、山村自身も悔やむところがあるという。
「山崎さんがケガをした後、永井(謙佑)さんを(左サイドに)下げてしっかりバランスを見たつもりだった。FKも集中力が切れてたわけじゃないと思うけど、失点してしまった。やっぱり自分の声が少し足りなかったかなと思いますね……」

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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