プルシェンコ劇場の第3幕が開演=すべての逆境を吹き飛ばした絶対王者

野口美恵

けが悪化でショートは4回転回避「過去へ旅するようなものだが、棄権はしない」

演技後は強気な表情が印象的だったが、表彰台では少年のような笑顔が戻った 【Getty Images】

 彼にとって2年ぶりの国際大会。ISUの成績規定を満たしておらず、特別に出場許可を得て、予選からの出場となった。大会に向けての練習中に左ひざの半月版損傷が悪化したため、「トウを突くだけで痛い」という状態での試合。しかし予選は4回転トゥループを決めて首位通過し、「けがのことを考えないようにした。この状態でこれくらいできるなら、再手術したらもっとすごい演技ができる」と手ごたえをつかんだ。

 ところがショートプログラム前日の練習中、4回転トゥループを跳んだときに膝に激痛が走り、曲げ伸ばしする事すら困難になってしまった。自身が一番こだわりを持ち、4回転を跳ばない選手を『男子ではなくダンス』とまで言った彼が、切り札を失ったのだ。もしプライドに固執するなら棄権もあり得たが、冷静な判断を下した。「4回転を跳ばない試合なんて、過去へ旅するようなもの。でも全力の演技はできないが、棄権はしない。棄権は、もうベッドから起き上がれなくなった時だけだ」と。それはプルシェンコとしては大きな前進だった。

 迎えたショートプログラム。ジャンプは「3回転ルッツ+3回転トゥループ、トリプルアクセル、3回転ループ」の構成。ところが4回転を捨てたプルシェンコは、今までとは違う新しい魅力を見せた。何といってもスピードがあり、演技全体に隙がなく、止まったまま上半身で演技するような場面はほとんどない。ショートプログラム上位6人のうち、プルシェンコ以外全員が4回転に挑んだのに対して、彼はエレメンツの出来栄え(GOE)と演技全体の魅力を高く評価された。

 結果は、同じ門下生のアルトゥール・ガチンスキーと0.09点の僅差で、2位発進。アレクセイ・ミーシンコーチは、ショートプログラム後、勝ち誇ったように言った。「怪我で4回転は跳べなかった。しかし今日の演技でもう、プルシェンコがいかに素晴らしく、そして危険な男であるかは分かっただろう」。

新境地の2本のステップ、演技と出来栄えで見せる新しい戦い方

 そして1月28日、男子フリー。会場の「モーターポイントアリーナ」を埋め尽くした観客達は、“危険”を更に味わうことになる。まずは冒頭で高さのある完璧な4回転トゥループ、続いて宙に浮いているかのような雄大なトリプルアクセルを2本。負傷を抱えているとは思えない、4回転王の復活だった。

 さらに見所は、「ロクサーヌのタンゴ」の妖艶な雰囲気に合わせた、2本のステップだった。中盤のステップは、ゆっくりと、いや、ねっとりとジャッジを誘惑するような動き。深いエッジワークを駆使してスピード感を見せるパトリック・チャン(カナダ)や小塚崇彦(トヨタ自動車)とは違うタイプの、あえてスピードを落として“溜め”で音楽性を見せるステップだ。そして曲調が激しくなる後半のステップでは、曲調に合わせて感情を爆発。激しく顔や手を振って情熱を表現する上半身のパワーが、足を通って氷に伝わっていった。2本のステップとも、エッジワークの巧みさを見せるためのステップではなく、音楽を表現するために踊った結果がステップになっている。新境地ともいえるステップだった。

 あっという間の4分半。「どうだ」と言わんばかりの強気の表情で、人差し指を突きたて「1位」を確信するプルシェンコを、観客全員がスタンディングオベーションで讃(たた)えた。バンクーバー五輪の時は立った人はまばらだったが、この夜は座って拍手する事がおこがましいほどの、異様な空気が会場を満たしていた。

 ジャッジの評価が、さらに物語る。「4回転トゥループ」「トリプルアクセル+3回転トゥループ」「3回転ループ」と2つのステップは、最高評価の「+3」を付けたジャッジが何人もいた。「演技力」と「音楽解釈」は、国際大会では異例ともいえる9点台の応酬となった。フリー176.52、総合261.23でどちらも自己最高得点。7度目の欧州王者に輝いた。

「実は予選ではとても疲れてしまって、後半で良い演技が出来なかった。だからフリーの前はしっかりマッサージを受けて、いいウォームアップをして、それでエモーショナルな演技をできたんだ」とプルシェンコ。4回転ジャンプ以外の要素で見せ、出来栄えと演技構成点で他を引き離す演技。それはバンクーバー五輪で、彼ができなかった闘い方だった。

「試合の空気が好きなんだ。アドレナリンが沸いてくる、あの感覚」

見据えるのはソチ五輪。プルシェンコ劇場のフィナーレはまだこれからだ 【Getty Images】

「今日みんなにありがとうを言いたい。応援してくれた観客と仲間、そして評価してくれたジャッジに! 本当だよ。僕はね、試合の空気が好きなんだ。アドレナリンが沸いてきて、勝つか負けるか分からない気持ちで集中する。その感覚が好きなんだ」。

 優勝後、少年のようなあどけない笑顔で喜びを語るプルシェンコ。それは、五輪の金メダルという名誉に固執するのではない、純粋にフィギュアスケートを愛する一人のアスリートの姿にすら見えた。2月にはドイツで左ひざの手術を受け、来シーズンはフル出場するという。余りに出来過ぎた復活劇にあぜんとするメディア陣を前に、こう付け加えた。

「ソチ五輪が終わったら、自分に『もう十分だろ』って言い聞かせるよ」。

<了>

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著者プロフィール

元毎日新聞記者、スポーツライター。自らのフィギュアスケート経験と審判資格をもとに、ルールや技術に正確な記事を執筆。日本オリンピック委員会広報部ライターとして、バンクーバー五輪を取材した。「Number」、「AERA」、「World Figure Skating」などに寄稿。最新著書は、“絶対王者”羽生結弦が7年にわたって築き上げてきた究極のメソッドと試行錯誤のプロセスが綴られた『羽生結弦 王者のメソッド』(文藝春秋)。

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