狂虎、亡き友・上田馬之助、日本復興への祈り
タイガー・ジェット・シン独占インタビュー
亡き友・上田馬之介、愛する日本への思いを語ってくれたタイガー・ジェット・シン
亡き友・上田馬之介、愛する日本への思いを語ってくれたタイガー・ジェット・シン【矢内耕平】

 かつてプロレス黄金時代に会場のファンを恐怖で追い回し、その憎悪を一身に浴びた最凶の悪役タイガー・ジェット・シン。

 昨年末に亡くなったタッグパートナー・上田馬之助さんを追悼するため「元気ですか!! 大晦日!! 2011」に参加したシンを、親戚が茨城県つくば市で経営する「タイガー・ジェット・シン カレーハウス GUNS」で独占キャッチ。亡き友・馬之助さんとの思い出、復興支援への思い――“狂虎”とは違った顔を見せシンが語った。

ウエダサンとは本当の兄弟のようだった

上田馬之介さんは仕事を越えた兄弟のような存在だった
上田馬之介さんは仕事を越えた兄弟のような存在だった【矢内耕平】

――昨年12月末、長きに渡る盟友であった上田馬之助さんの死がありました。シンさんは訃報をどのようにして知ったのですか?


シン 日本のたくさんのメディアが私に電話を掛けてきた。本当にたくさんのメディアがね。ウエダサンの死について話してほしいということだったが、私は話さなかった。すごくショックで、とても悲しい出来事だった。


――上田さんの死を聞き、どのようなことを思い出しましたか?


シン ウエダサンとは本当にたくさんの思い出がある。彼は偉大なファイターでありウォリアーだった。それと同時にリングを降りれば本当の紳士で、彼のような人というのはめったにいない。本当に素晴らしい人間だ。


――お二人の間にはプロレスでのチームワークにとどまらない“絆”があったのですね


シン ウエダサンは本物のプロフェッショナルで、ヒールとして他のレスラーと食事をしたり行動をするようなことをしなかった。だから朝起きるといつも私を起こしに来てくれて、朝食を一緒に摂って、それから昼食も夕食もいつも彼と一緒だった。我々はいつも一緒に行動していた。インドと日本、生まれた場所は違うけど本当の兄弟のように付き合い、同じ時を過ごした。我々は世界一のヒールタッグだったし、上田さんとの友情は40年に渡って続いてきた。それは今までも、そしてこれからもずっと変わらないものなんだ。

地震や津波の映像を見て私は泣いた

第2の故郷・日本の復興支援に力を注ぐシン親子
第2の故郷・日本の復興支援に力を注ぐシン親子【矢内耕平】

――改めて上田さんのご冥福をお祈り致します。日本では昨年、大地震と津波、そしてそれに伴う原発の事故が発生しました。これに関してはどのように感じられましたか?


シン 地震と津波のニュースは、私にも私のファミリーにとっても大きなショックだった。日本は初めて来日してからもう40年近くを過ごしていて、私にとって第2の故郷、ホームといっていい場所だ。テレビで流れる地震や津波の映像を見て私は泣いた。涙を抑えることができなかった。そしてすぐ日本の友人たちに電話を掛けた。仙台エリア、福島エリア……。だが、どこも電話はつながらなかった。本当にショックだった。亡くなった友人たちもいて、とてもショックで本当に辛かった。


「ガンズ」スタッフ こちらにもすごく心配してすぐに電話が掛かってきました。日本各地にいる友人にも心配していろいろ電話をしていたみたいです


――復興支援にリストバンドを作成し、その売り上げを寄付するといった活動をされている話もお聞きしました


シン 私の息子が「タイガー・ジェット・シン基金」の代表を務めていて、運営を彼に任せている。我々は誰もがみな神の子であることを信じていて、日本人もイスラム教徒も、シーク教徒もキリスト教徒も、そこに何も違いはなく1つのファミリーだと思っている。そういう信条のもとに彼は学校やレストランを運営して、カナダや日本の子どもたちをサポートしているんだ。


シン・ジュニア 基金のHPを見れば、カナダの子どもたちが日本の子どもたちへ送った愛と希望のメッセージを読むことができる。カナダの子どもたちと日本の子どもたちの理解と交流の機会を作りたいと思ってね。リストバンドの売り上げでも多くの義援金が集まっていて、次回来る時、たぶん仙台になると思うけど、それを寄付しに行きたいと思っている。

いいレスラーが少なくなってしまった。悲しいよ

大晦日にはかつての宿敵・アントニオ猪木を激励
大晦日にはかつての宿敵・アントニオ猪木を激励【t.SAKUMA/横田修平】

――往年の狂虎イメージが強烈なシンさんですが、現在はどんな生活をされているのですか?


シン 毎日とても充実した生活を送っている。毎朝5時に起きて、まず祈りを捧げる。それから朝食を摂って、そして所有する100エーカーの土地を2匹の犬を走らせながら息子と一緒に走る。敷地にある川で犬が泳いだりするのを見ながらね。とても幸せなひと時だ。

 それから戻ると今度は家の中にあるジムへ移動してトレーニングをする。息子は重い重量を使って3時間、私は軽めの重量を使って1時間半。これを毎日だ。そして2時間ほど昼寝をして、その後はゴルフだ。家の敷地で打ちっ放しができるようになっているんだ。とても充実して過ごしているよ。息子はタイガー・ジェット・シン基金のほか不動産の社長も務めていて、私はその様子を少し見るぐらいになっている。


シン・ジュニア でも、今でも父がボスだよ(苦笑)。


シン そんな風にストレスやプレッシャーのない、ビューティフルライフを送っている。私には7人の孫がいるが、みんなトレーニングしてスポーツをしている。私の学校でもスポーツを奨励してプログラムを導入している。「タイガー・ジェット・シン・パブリック・スクール」という名前で1000人の生徒がいるが、全ての生徒がトレーニングをするんだ。学校には4歳から13歳までの子どもたちが通っている。


――現在のプロレスについて、シンさんはどのようにご覧になっていますか?


シン 私がイノキサンと戦っていたころは非常にシリアスなファイトだった。コミカルな要素は全くない。ベリーシリアスファイト。ウエダサン、フジナミサン、みなベリーシリアスファイトを戦っていた。でも今は娯楽的要素、ショー的要素が多すぎる。シリアスなファイトがほとんどない。あまりにアメリカ的にすぎる。以前はみなシリアスなファイトだったのに、WWE的戦いに影響を受けすぎた。


 以前は違った、チョウシュウサン、マエダサン、タカダサン、ベリーストロングファイターが多くいた。しかし、そういったファイターが今は少なくなってしまった。ガイジンファイターも、スタン・ハンセン、テリー・ゴディ、ファンクス、とても強く、そしてシリアスなファイターが多かった。ジャンボツルタもいい選手だった。でも、今はそういういいレスラーがほとんどいなくなってしまった。悲しいよ。


――来日中もご多忙の中、取材に応えていただきありがとうございます。最後にメッセージをお願いします


シン ウエダサンの死は本当に悲しかった。神が与えてくれたパートナーで、1番の親友であるウエダサンの魂が安らかであること、そして1日も早い日本の復興を祈ります。そのために私ができることがあるなら、またいつでもすぐに戻ってくるよ。


【取材協力】


■インドレストラン&バー「ガンズ」

TEL 029-859-6677

茨城県つくば市天久保1-8-9


■タイガー・ジェット・シン基金

http://tigerjeetsinghfoundation.com/

長谷川亮

1977年、東京都出身。「ゴング格闘技」編集部を経て2005年よりフリーのライターに。格闘技を中心に取材を行い、同年よりスポーツナビにも執筆を開始。そのほか映画関連やコラムの執筆、ドキュメンタリー映画『琉球シネマパラダイス』(2017)『沖縄工芸パラダイス』(2019)の監督も。

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