ベガルタ仙台の特別な1年、感謝の気持ちを忘れない=ユアスタにあふれた感謝の数々

小林健志

ホーム最終戦セレモニーで支援への感謝を表現

ベガルタ仙台はJ1で4位という好成績を残し、被災地の「希望の光」であり続けた。そこには多くの人の支援があったことを選手やスタッフは忘れていない 【Getty Images】

「私たちは感謝を忘れない」

 12月3日、ユアテックスタジアム仙台(以下ユアスタ)で行われたベガルタ仙台のホーム最終戦・ヴィッセル神戸戦後の感謝セレモニーで、選手たちが場内を一周した際、持っていた横断幕の中に、このような言葉があった。未曾有の大震災からは9カ月がたとうとしていた。

 震災直後、ベガルタにかかわるすべての人々は、仙台でいつサッカーができるのかという不安に襲われた。しかし、ベガルタは日本全国、そして世界各地から多大な支援を受け活動を再開し、無事にJ1リーグ戦、ナビスコカップ、天皇杯というすべての大会に参加できた。

 ベガルタの選手・スタッフが震災後初めて再集合した3月28日、石巻市の高台にある日和山公園で津波被災地の壮絶な被害を全員が目の当たりにし、「サッカーを続けていいのか」と悩む選手もいた。そんな中、サッカーに集中する環境が与えられ、1年間サッカーを続けることができた。そして震災後の厳しい状況にもかかわらず、サポーターはチームを熱く支え続けてくれた。この日あいさつした手倉森誠監督や、渡辺広大選手会長は支えてくれた多くの人たちへの感謝を口にしたが、すべての選手・スタッフも同じ感謝の念を抱いている。

 逆にサポーターはJ1で4位という予想以上の好成績を挙げてくれた選手たちに感謝している。渡辺選手会長の「今シーズンのわれわれは皆さんの希望の光になれましたか?」との問いかけに対しての大きな拍手がその象徴であろう。そしてサポーターは多くの人々からの支援にも感謝の気持ちを表した。ホーム最終戦の対戦相手であった神戸は、阪神淡路大震災の被害から復興を遂げた街のクラブで、いち早く支援活動を行ってくれたこともあり、神戸サポーターとも何度もエール交換が行われた。

 この日に限らず、今年のユアスタには感謝の思いが溢れていた。仙台にとって特別な1年、その最後に、ユアスタで見られた「感謝」の場面を振り返りたい。

平日の昼間に1万人を越えるサポーターが集まる

 今シーズンのベガルタは開幕から全力プレーで快進撃を続けた。夏場は疲れから9試合勝ち星を逃した時期もあったが、その後もう一度立ち直り、11試合連続無敗と粘りを見せた。「希望の光になる」を合言葉に一丸となって戦う選手たちへのサポーターの感謝の思いが顕著に見られたのは、6月のホームでの2試合だった。

 この2試合はいずれも平日の水曜日に組まれた。通常であれば夜に行われるはずだったが、ユアスタは震災の影響により照明設備が故障し、7月13日に行われた清水エスパルス戦まで照明設備を一切使用することができなかった。このため、6月15日のガンバ大阪戦、22日のヴァンフォーレ甲府戦はいずれも14時キックオフという、通常であればまずあり得ない時間に試合が行われることになった。しかも季節は初夏。ホームの後押しが得られず、暑さの中で試合が行われるとあって、苦戦が予想された。

 しかし、震災後から負けなしのチームに応えようと、多くのサポーターは無理をして仕事を休み、ユアスタに駆け付けたのだ。G大阪戦は14,519人、甲府戦は11,356人と、平日日中としては驚異的な観客動員を記録した。G大阪戦はその日夜に行われたすべての会場を抑え、最高の観客動員数となった。

 このサポーターを見た手倉森監督は試合前、「ここに集まってくれる今日のサポーターは、自分のサラリーよりもベガルタに対して生きがいを感じてくれる人たちだ」と選手に語ったという。選手たちの闘志に火がつかないわけがない。G大阪戦、甲府戦ともに、ベガルタがボールを支配する最高の内容で勝利を飾った。快進撃を続けるチームへの感謝を込め、無理をして集まったサポーター、その思いに感謝の勝利を届けた選手たち。互いの感謝によって最高の結果を生み出すことができた。

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著者プロフィール

1976年、静岡県静岡市清水区生まれ。大学進学で宮城県仙台市に引っ越したのがきっかけでベガルタ仙台と出会い、2006年よりフリーライターとして活動。各種媒体でベガルタ仙台についての情報発信をするほか、育成年代の取材も精力的に行っている

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