奥原希望、16歳8カ月で史上最年少優勝=バドミントン全日本総合

楊順行

格上相手に堂々の戦い

バドミントン全日本総合選手権、16歳8カ月で史上最年少優勝を飾った奥原希望 【写真は共同】

 12月10日、バドミントンの全日本総合選手権準決勝。大宮東高2年の奥原希望が、昨年この大会3位の三谷美菜津(NTT東日本)との熾烈(しれつ)なラリー合戦を制して、史上最年少での決勝進出を果たした。ファイナルゲーム、79分という消耗戦。

 奥原は試合後にこう振り返った。

「長いラリーを制したのが勝因だと思います。本当に苦しかったんですが、インターバルで三谷さんの息が上がっているのが聞こえたので、ラリーでは無理せずにとにかく我慢しました。私は身長が低く(154センチ)、決め球がないので、急いだら攻撃力のある相手が楽になる。ですから、相手が決めにきた球でも焦らず、ミスをせずに返していけば……」

 明せきなゲームプラン。三谷は今季、グレードは低いながら国際大会3度の優勝があり、世界ランキング34位(奥原は81位)の成長株だが、長いラリーを制したのはことごとく奥原。どちらが格上かわからないような、冷静なゲーム運びだった。

「実はね……」

 と明かしたのは、日本代表の舛田圭太コーチだった。この大会、シングルス5連覇などつごう14回の優勝と、単複3回の五輪出場歴がある、屈指の名プレーヤーだ。その舛田が昨年のこの大会で、高校1年生ながらベスト16に進出した奥原に尋ねたそうだ。

 「何月生まれだ、と。僕がこの大会で初めて決勝に進出したのが高校2年。結果的に敗れましたが、16歳と9カ月でした。それが決勝進出としては史上最年少の記録なんです」。

 奥原は、舛田が決勝に進んだその1995年3月13日生まれ。つまり昨年の時点で舛田は、「もし来年、奥原が決勝に進んだら、自分の記録が破られることになる」と、その無尽蔵の可能性を予感していたというわけだ。

「日本一になるには日本一の、世界一になるには世界一の練習を」

 7歳からバドミントンを始めた奥原。09年、高校生に混じって出場した全日本ジュニア選手権で準優勝。女子中学生としては史上2人目の全日本総合選手権出場を果たした。 高校1年で全日本ジュニア選手権を制した昨年は全日本総合選手権1回戦を突破。今年に入ると、高校総体制覇は当然として、世界ジュニア選手権で3位、大人の大会であるオーストリア国際では優勝を果たした新星だ。

 その勝負根性はすさまじい。大宮東高の大高史夫監督によると「人一倍練習する。土日には“どこか練習するところはないですか”と、実業団チームにも出向きます」。
 長野県出身で、寮の部屋には「日本一になるには日本一の、世界一になるには世界一の練習をする」と壁に貼ってある。ネットから髪の毛が出るかどうかという小柄な体格のため、攻撃力は見劣りする。しかし、コートを素早く走り回るスピードと運動量があり、丁寧かつクレバーに相手を消耗させる配球と精神の揺るぎなさが大きな武器だ。

 かと思えば、2回戦進出を果たした9月のヨネックスオープン・ジャパンでは、「高校生の大会では、知人や関係者しか応援してくれませんが、見知らぬ観客が応援してくれるなんて初めて」と語り、この大会でも、「ゲンを担いで、1回戦を勝った前日と同じ11時10分にベッドに入っています」などと、高校生らしい初々しさも見せる。

 「練習もしたことがないので、対戦が楽しみ」と話していた日本のエース・廣瀬栄理子(パナソニック)との決勝は、直前に体調不良を訴えた廣瀬が棄権したため、拍子抜けの優勝となったが、奥原は相手への配慮も忘れなかった。

 「五輪レースは、それほど過酷なんだと思います。私も、リオデジャネイロ五輪に備え、先輩たちの練習への取り組みや、日常の考え方に接しながら参考にしたい」。

 奥原、史上最年少の全日本総合制覇は、リオへの大いなる“希望”。忘れていた。日本全国で皆既月食が観測された決勝前夜、奥原はゲン担ぎ通りにベッドに入ったのだろうか。

<了>
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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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