奥原希望、16歳8カ月で史上最年少優勝=バドミントン全日本総合
格上相手に堂々の戦い
バドミントン全日本総合選手権、16歳8カ月で史上最年少優勝を飾った奥原希望 【写真は共同】
奥原は試合後にこう振り返った。
「長いラリーを制したのが勝因だと思います。本当に苦しかったんですが、インターバルで三谷さんの息が上がっているのが聞こえたので、ラリーでは無理せずにとにかく我慢しました。私は身長が低く(154センチ)、決め球がないので、急いだら攻撃力のある相手が楽になる。ですから、相手が決めにきた球でも焦らず、ミスをせずに返していけば……」
明せきなゲームプラン。三谷は今季、グレードは低いながら国際大会3度の優勝があり、世界ランキング34位(奥原は81位)の成長株だが、長いラリーを制したのはことごとく奥原。どちらが格上かわからないような、冷静なゲーム運びだった。
「実はね……」
と明かしたのは、日本代表の舛田圭太コーチだった。この大会、シングルス5連覇などつごう14回の優勝と、単複3回の五輪出場歴がある、屈指の名プレーヤーだ。その舛田が昨年のこの大会で、高校1年生ながらベスト16に進出した奥原に尋ねたそうだ。
「何月生まれだ、と。僕がこの大会で初めて決勝に進出したのが高校2年。結果的に敗れましたが、16歳と9カ月でした。それが決勝進出としては史上最年少の記録なんです」。
奥原は、舛田が決勝に進んだその1995年3月13日生まれ。つまり昨年の時点で舛田は、「もし来年、奥原が決勝に進んだら、自分の記録が破られることになる」と、その無尽蔵の可能性を予感していたというわけだ。
「日本一になるには日本一の、世界一になるには世界一の練習を」
その勝負根性はすさまじい。大宮東高の大高史夫監督によると「人一倍練習する。土日には“どこか練習するところはないですか”と、実業団チームにも出向きます」。
長野県出身で、寮の部屋には「日本一になるには日本一の、世界一になるには世界一の練習をする」と壁に貼ってある。ネットから髪の毛が出るかどうかという小柄な体格のため、攻撃力は見劣りする。しかし、コートを素早く走り回るスピードと運動量があり、丁寧かつクレバーに相手を消耗させる配球と精神の揺るぎなさが大きな武器だ。
かと思えば、2回戦進出を果たした9月のヨネックスオープン・ジャパンでは、「高校生の大会では、知人や関係者しか応援してくれませんが、見知らぬ観客が応援してくれるなんて初めて」と語り、この大会でも、「ゲンを担いで、1回戦を勝った前日と同じ11時10分にベッドに入っています」などと、高校生らしい初々しさも見せる。
「練習もしたことがないので、対戦が楽しみ」と話していた日本のエース・廣瀬栄理子(パナソニック)との決勝は、直前に体調不良を訴えた廣瀬が棄権したため、拍子抜けの優勝となったが、奥原は相手への配慮も忘れなかった。
「五輪レースは、それほど過酷なんだと思います。私も、リオデジャネイロ五輪に備え、先輩たちの練習への取り組みや、日常の考え方に接しながら参考にしたい」。
奥原、史上最年少の全日本総合制覇は、リオへの大いなる“希望”。忘れていた。日本全国で皆既月食が観測された決勝前夜、奥原はゲン担ぎ通りにベッドに入ったのだろうか。
<了>
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