世代トップに君臨し続けた日大三=2011夏の高校野球・総括

松倉雄太

強打の日大三が10年ぶりの優勝

日大三が、強打とエース・吉永の力投で10年ぶりの頂点に立った 【写真は共同】

 全国4014校が参加した第93回全国高校野球選手権大会は、日大三が10年ぶり2回目の優勝を果たして幕を閉じた。

『強打の三高』は史上4校目となる6試合連続2けた安打。さらに1試合の平均得点は10.2とこちらも2けたに達した。1大会の2けた得点が4試合を超えたのはなんと90年ぶりの記録となった。
 個人では4番の横尾俊建(3年)が24打数15安打12打点、2番の金子凌也(2年)が12安打、5番の高山俊(3年)も13安打と3人が打率5割を超えた。
 6試合を振り返ると、1回戦の日本文理戦が一番苦労したと言える。3回までの1巡目はわずか1安打。相手の2年生右腕・波多野陽介に苦しんだが、2巡目に入って打線はしっかりととらえだした。4回以降はすべて5人以上での攻撃。終わってみれば2けた得点で発進した。

 打線全体を見ると、3番・畔上翔(3年)と4番・横尾に注目が集まるが、ポイントになったのはその後。5番の高山、6番の菅沼賢一(3年)の長打力はすさまじく、『第2の3、4番』形成しているような感覚で、対戦相手の投手を圧迫していった。
 また苦しいゲームになっても、相手のわずかな隙に、球数を要さず一気に打っていく姿勢も目立つ。決勝の光星学院戦で勝負を決定づけた7回の5点は、わずか15球で挙げたものだった。

 投げてはエースの吉永健太朗(3年)が全6試合中5試合を完投。大会前半はやや不安定だったが、準々決勝の習志野戦と決勝に光星学院戦で完封と尻上がりに良くなった。左打者に対しての『絶対的な決め球』シンカーも大いに威力を発揮した。

 日大三は各地区の秋季チャンピオンが参加した昨秋の明治神宮大会で優勝し、この世代で最初の頂点に立っている。春の選抜大会では4強に終わったが、最後まで世代のトップ格に君臨し続けてきた。全国からのプレッシャーをはねのけての優勝は見事だ。

エース・秋田の踏ん張りが目立った光星学院

 準優勝に終わった光星学院。強打のイメージが強く、大会前半はその通りの試合運びだったが、後半はエースの秋田教良(3年)の踏ん張りが目立った。

 初戦、3回戦と主将の川上竜平(3年)が先発し、極力温存された形になった秋田。準々決勝の東洋大姫路戦で先発すると、相手エースの原樹理(3年)との投げ合いに意地で勝った。
 準決勝は作新学院を完封。ここまででは25回あまりを投げて自責点わずか1という安定ぶり。捕手の松本憲信(3年)は、「投げれば投げるほど良くなるタイプ」と評している。決勝こそ日大三の強打に屈したが、夏のマウンドで優勝投手と同等の存在感を示した。

 青森県八戸市に学校がある同校。関西や沖縄の出身者が多く、『地元が少ない』と揶揄(やゆ)される声もあるが、彼らは、この3年間をこの学校でやると決めて入学した。今は“青森県人”であり、“八戸市民”である。震災で大きな被害を受けた八戸の方々も光星学院の健闘に大きな拍手を送ったそうである。
 野球留学の是か非かを問うのではなく、どこの学校で3年間汗を流すかの決断をする彼ら高校球児の思いが一番大事なのではないかと光星学院の戦いを見て感じられた。

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著者プロフィール

 1980年12月5日生まれ。小学校時代はリトルリーグでプレーしていたが、中学時代からは野球観戦に没頭。極端な言い方をすれば、野球を観戦するためならば、どこへでも行ってしまう。2004年からスポーツライターとなり、野球雑誌『ホームラン』などに寄稿している。また、2005年からはABCテレビ『速報甲子園への道』のリサーチャーとしても活動中。

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