山本隆弘、3年ぶりの全日本代表に懸ける想い=バレーボール

市川忍

3年ぶりに代表復帰した山本は「わくわくする」と語る。その気持ちに至るまでの道のりとは!? 【写真:築田純/アフロスポーツ】

「ここに来るまでの間、ガラにもなく緊張しちゃいましたよ。でも、今は『やるしかない』という気持ち。わくわくしています。妙に自分に期待している自分がいたりしてね」

 そう照れくさそうに話すのは、3年ぶりに全日本登録メンバーに選出された2008年北京五輪出場時のエース、山本隆弘(パナソニック)だ。

 5月16日、今年度のワールドリーグ登録選手の発表が東京・味の素ナショナルトレーニングセンターにて行われた。キャプテンの宇佐美大輔(パナソニック)をはじめとするなじみのメンバーが顔をそろえたが、今回、最もバレーボールファンを驚かせたのが北京五輪以来となる山本の代表復帰だった。

「1年1年が勝負になる年齢。そんな中、全日本候補に入れてうれしかったです。チームで最年長。しっかりとコミュニケーションを取ってみんなを引っ張っていきたいと思います」

 記者会見でマイクを向けられた山本は晴れやかな表情で語った。

消化不良の北京五輪「代表のユニホームを着るのは最後だと思った」

 山本が全日本の一員として最後にプレーしたのは2008年、北京五輪。全日本男子は世界最終予選を勝ち抜き、実に4大会、16年ぶりとなる五輪出場を手にした。セッターの朝長孝介(当時堺)を中心にベテランの荻野正二(当時サントリー)、オポジットの山本、レフトの石島雄介(堺)らが活躍し、男子バレーにとって悲願だった五輪への切符をもぎ取った。ただし、本番の北京五輪は5戦全敗。世界最終予選で活躍した選手ではなく、国際大会では未だ実績のない若手選手を積極的に起用する、その植田辰哉全日本男子監督の采配には疑問の声と批判が集中した。

 山本は振り返る。
「あのときは、とにかく気持ちとしては消化不良だし、かといって、もう次の五輪を目指すほどの気力は残っていなくて……。正直、先のことは何も考えられませんでした。代表のユニホームを着るのはこれが最後だろうと思いましたよ。今、考えると負けた原因は選手一人一人にもあったと思う。出場権を取った時点で浮かれていたんじゃないか。まず五輪の試合に臨む準備もできていなかったし、それまで保ち続けてきた緊張感を忘れてしまっていたんじゃないかと思いますね」

 五輪終了後はパナソニックパンサーズでプレーを続けてきたが、毎年、年度が変わる5月を迎えると複雑な思いが頭をよぎった。ユニホームを脱ぐチームメイトを見ると、「自分もいつまで現役を続けられるのか」と引退を間近に感じたという。

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著者プロフィール

フリーランスライター/「Number」(文藝春秋)、「Sportiva」(集英社)などで執筆。プロ野球、男子バレーボールを中心に活動中。

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