女子ジャンプ・ソチ五輪期待の星=高梨沙羅インタビュー

高野祐太

コンチネンタル杯の2連勝に続き、今年行われた世界選手権では6位入賞を果たした 【写真:ロイター/アフロ】

 スキー女子ジャンプの高梨沙羅選手(上川中)が、昨シーズンに大きく飛躍した。コンチネンタル杯で史上最年少の優勝を含む2連勝をし、初出場の世界選手権で6位入賞を果たした。そして、4月6日には3年後の2014年ソチ冬季五輪(ロシア)でジャンプ女子種目の正式採用が決定。時代の流れが呼び込んだかのようなきらめく新星の登場となった。ところが、その素顔は、どこにそんなパワーが秘められているのか、と思ってしまうほどの小柄(151センチ、43キロ)でキュートな14歳だ。強さの秘密はどこにあるのか話を聞いた。

女子ジャンプのソチ五輪採用 「ワクワクしました」

――ついに女子ジャンプのソチ五輪採用が決まりましたね

 「はい。朝起きたら、お母さんが『決まったよー』と教えてくれました。とてもうれしかった。ちょっとワクワクしました」

――目標が明確になって来ましたか

 「はい。気合の入り方が違います。これからの3年間、代表に選ばれるように一生懸命練習したいです」

――もし出場できたら、どんなジャンプがしたいでしょう。今、思い描いているジャンプはありますか

 「いつも通り楽しく飛びたいです。メダルとかは考えていなくて、オリンピックに出ること自体すごいことなので、まずは代表に入れるように頑張ります」

世界の舞台で台頭し大きな話題に

――昨季はコンチネンタル杯や世界選手権ですばらしい成績を挙げました。まずコンチネンタル杯の感想を聞かせてください

 「自分のジャンプとクセのないジャンプ台の特性が合っていたと思います。常にトップ6に入らないといけないと思うのですが、まだ結果がまばらというか、悪いときがあるので、台に合わせられるようになれたらいいです」

――優勝しても反省を忘れないんですね

 「相性の合う台で2本合わせられたのは自信になりました。でもクセのある台ではまだうまくいかないので、満足はしていません。(コンチネンタル杯の)公式練習は2本、多くても3本しか飛べないので、少ない本数でもきっちり台に合わせられるように、飛ぶ前にイメージを練っておかないといけないかなと思います」

――世界選手権では、公式練習で7本中5本が一番の飛距離だったほどの実力を見せ、本番では濃霧の影響もあって、メダルにあと少しの6位入賞でした

 「たくさんの観客がいて、声援に圧倒されたし、霧も濃くて、あれほど悪い条件で飛んだのはほとんど初めての経験だったので、その中で目標のトップ6を守れたのは良かったです。今までで一番良い経験になりました」

――どれほどの状況だったのでしょうか

「霧でコーチのスタートの合図が見えませんでした。声も出してくれたんですけど、声援がすごくて聞こえず、ちょっと焦りました。でも、次にそういうことになっても、あのときのような状況だなって思い出せば飛べる。トラブルに対処できる経験になりました」

――課題は見つかりましたか?

 「大切なときに力を出し切れる選手になりたいと思いました。練習のときから失敗の確率を少しでも少なくなるように集中したい。10本中10本を決めるのはなかなか難しいことだと思うけど、6本なら6本、3本なら3本と決めて、それをパーフェクトにこなせるように、確率の練習をしたいです」

――すごいなと思った外国選手はいましたか?

 「優勝したダニエラ・イラシュコ選手(オーストリア)はダントツの強さでした。技術的に上手だし、何よりメンタル面がすごく強い。そういう選手が悪い条件でもしっかり飛べるんだなって。オーラが違うというか、見ていて何かが違う気がしました」

――技術的に盗みたい点はありましたか

 「私の2本目はタイミングが遅れて、多分まったくカンテ(踏み切り台)に力が伝わっていなかったけど、強い人のビデオを見ると、しっかり伝わっているなと思いました。そこを学びたいです」

「オリンピックなどの目標ができた」

――高梨さんが小学生のときのジャンプも見ていましたけど、あのころから滑らかな飛びをしていました。女子ジャンプのパイオニアの山田いずみさんも高梨さんに目をかけていたみたいで、お母さんは「大きな大会で活躍したときのヘルメットを沙羅がもらったんです」と言っていました。山田さんを先頭にした女子ジャンプ界の頑張りがあって、ソチ五輪のほか、来季からのW杯開催も決まっています

 「山田さんにもらったヘルメットは自宅で大事に飾っています。ジャンプを始めたころはただ楽しくてやっていただけでしたけど、今はW杯やオリンピックなどの目標ができました。ジャンプがより大切な存在になっていて、楽しくできる限り、ずっと続けていこうと思っています」

――かわいい女の子にしか見えない高梨さんが、スキージャンプという大変なスポーツを始めたのはどんなきっかけがあったのでしょう

 「家にローラースキーでできる小さなジャンプ台があって、兄や兄の友だちが飛んでいたんですけど、小学2年の夏くらいに私もやらせてもらったら、以前からやっていたゲレンデスキーより面白くて」

――ジャンプ選手だったお父さんの勧めもあったのでしょうか

 「自分から『やりたい』と訴えたんです。そしたら『やってもいいけど、やるからには中途半端にならないように』とクギを刺しながらも認めてくれて。そして、3年生で少年団に入りました」

――ビビッと来た訳ですね

「はい。体が浮くところが楽しかったです」

恐怖心をはねのけ飛び出す強さ

HBCカップでは、国内最長不倒記録となる141メートルの大ジャンプで優勝した 【写真:アフロ】

――高梨さんの強さの1つが、恐怖心に打ち勝って飛び出せる点だとも思うのですが、それにしても本当に怖くないんでしょうか。素人はミディアムヒルの荒井山(ジュニアサイズのジャンプ台)に立っても足がすくみますよ

 「荒井山は大したことないです(笑)。宮ノ森(ジャンプ競技場)もそうでもなかったけど、大倉山の初飛びはやっぱり怖かったかな。小学6年か中学1年のサマージャンプでした。すごく風が強くて。でもまったく風がなかったら、あまり怖くなかったかもしれないですね」

――やっぱりスピードを怖がらないところがあって、ビビらずに飛び出していけるということになる

 「そうですね。怖いけど楽しいから、怖がらないで飛べます。怖いけど、楽しい方が大きい。怖いのはやっぱり1本目です。それが終わっちゃうと普通に飛べます」

――今年1月のHBCカップで大倉山の女子最長不倒記録となる141メートルの大ジャンプをやってしまいました

 「あのとき初めて心臓を置いていくような感覚があったんです。私、遊園地の“絶叫系”が好きで、今までで一番楽しかったのが、ルスツリゾート(北海道)にある真下に落下するアトラクションなんですけど、それと同じ感じでした。高いところから落ちて行ったので、似ていました」

――行ってみたい遊園地はありますか

 「富士急ハイランドに行ってみたいです。あそこにすごく長いジェットコースターがありますよね。あれを乗ってみたいんです」

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著者プロフィール

1969年北海道生まれ。業界紙記者などを経てフリーライター。ノンジャンルのテーマに当たっている。スポーツでは陸上競技やテニスなど一般スポーツを中心に取材し、五輪は北京大会から。著書に、『カーリングガールズ―2010年バンクーバーへ、新生チーム青森の第一歩―』(エムジーコーポレーション)、『〈10秒00の壁〉を破れ!陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦(世の中への扉)』(講談社)。

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