マリナーズ選手や記者が気遣いの声=東日本大震災で
テレビの前に立ち尽くすイチロー
フィギンス(左)、イチローらマリナーズの選手を始め、多くの関係者から心配する声が挙がっている 【写真は共同】
マリナーズのクラブハウスには3台のテレビがある。そのうちの1台は、朝から『CNN』にチャンネルが合わせられおり、日本から送られてくる地震、津波の被害映像を次々に映し出していた。
イチローは言葉を発しない。ただただ、テレビの前に立ち尽くす。1995年の阪神・淡路大震災を経験しているだけに、画面を見つめながら、心中に去来する複雑な思いがあったのかもしれない。
少し離れたところでは、やはりショーン・フィギンズが静かにテレビ画面を見つめていた。目が合うと彼は小さく首を振り、「家族は、大丈夫だったかい?」と尋ねてくる。
その時点では、日本の家族と連絡が取れていたので小さくうなずいたが、友人の中には家族と連絡が取れない人もいる――そんな現状を伝えると、彼は「心配だね」と眉をひそめた。
「実は、僕のフィアンセは、チリ人なんだよ」
フィギンズが唐突に言う。こちらがハッとした表情を見逃さず、彼は深くうなずいた。
「そう、昨年2月のチリ地震のとき、彼女はチリにいたんだ。内陸にいたから津波の心配はなかったけど、声を聞くまではね……」
イチローは11日の練習中、日本メディアに「電話は(つながった)?」などと気遣う言葉を掛けてきたが、その時点では彼も日本にいる家族、親類とは電話がつながらない状態だったよう。
選手や記者からの心のこもった言葉
それを見ているとき、デービッド・アーズマが近づいて来て、筆者の両肩をガッチリと両手でつかむと「家族は大丈夫だったかい?」と声を掛けてくれた。
状況は変わらず、自分の家族は大丈夫でも、家族の安否が分からない友人がいる――そんな話をすると、彼は自分のことのように顔を曇らせた。そういう選手は一人、二人ではなく、目が合うと彼らの多くは小さくうなずき返し、それだけでも十分に気遣いが感じられた。
シアトルの番記者らも、ひとごとではない、という表情を向けてきた。ベテラン野球記者の多くは、89年のワールドシリーズ第3戦の直前に発生したサンフランシスコでの地震を経験している。その恐ろしさを知るだけに、掛けてくる言葉にも心がこもっていた。
11日の夜に電話をくれた『ESPN』のジム・ケイプル記者も、ワールドシリーズでの被災体験を受話器の向こうで語った。あの夜はさまよったあげく、ようやくサンフランシスコ市内にホテルの空き部屋を見つけたが、1泊200ドル(約1万6千円)という、電気も水道も止まっている部屋に、通常の倍ほどの値段を払って泊まらざるを得なかったそうだ。部屋は35階。もちろんエレベーターも動いていないだけに、上り下りの苦労は言うに及ばず。
「それでも、体を休める場所があっただけでも……」
ちなみにあのとき、シリーズの延期を発表するフェイ・ビンセント・コミッショナー(当時)の会見は、ロウソクを使って行われたそうである。
「それが君たちの、日本という素晴らしい国だ」
「略奪などが起きるアメリカとは違う」
そういえば、2005年8月末に起き、未曾有(みぞう)の洪水被害などをもたらしたハリケーン・カトリーナの災害時には、「警官までがスーパーの略奪に加わっている」と報じられた。被災地では治安問題が常に話題になる。
略奪という発想はない――、そう彼らに返すとこんな言葉を掛けられた。
「それが君たちの、日本という素晴らしい国だ」
異国にいると、日本に住んでいてはなかなか気付かない日本の良さに触れることがある。真正面からストレートにいわれて、目頭が熱くなった。
12日のオープン戦が始まる前には、マリナーズのジャック・ズレンシック・ゼネラルマネージャーも日本人メディアの前に現れ、「今回のことは……」と言葉を詰まらせる。
「ひとまず、ご家族の無事は確認できましたか」
支援の輪が、メジャーでもまずはチームごとに広がっている。被害の実態がさらに明らかになれば、その輪はさらに大きくなりそうだ。
<了>
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ