NEO女子プロレスが旗揚げ10周年で解散=栗原は怒とうの裏投げで王者・田村破り2冠王に

高木裕美

今大会が解散興行となるNEO。メーンイベント終了後には、新旧NEO所属選手らがリングに上った 【前島康人】

 旗揚げ10周年を迎えたNEO女子プロレスが12月31日の東京・後楽園大会で解散興行「NEXT DOOR」を開催し、立ち見までギッシリの超満員札止めとなる1750人を動員。
 メーンイベントでは今大会を最後に引退する田村欣子、タニー・マウス、宮崎有妃の同期3選手と、最後のNEO所属戦選手となった勇気彩、野崎渚、飯田美花による「NEO解散試合」が行われた。

解散試合は「幻の3カウント」で引き分け

「幻の3カウント」で終わった解散試合は、試合終了後、若手と引退する3人がそれぞれ抱き合って健闘をたたえた 【前島康人】

 NEOは全日本女子プロレスを離脱した井上京子らによって1997年に設立されたネオ・レディースを前身とし、同団体の解散後に2000年5月31日に東京・北沢タウンホールで新団体として旗揚げ。小規模の会場をメーンとした興行形態でコアファンを獲得し、女子プロレス界ナンバーワン団体となったが、ここ数年は人気選手の引退が相次ぎ、旗揚げ10周年記念興行となった5.5後楽園大会で、まずネオ時代から同団体の顔であった井上京子が電撃退団を表明。メーンイベント終了後に団体の解散と3選手の引退が発表された。

 田村は全日本女子プロレスでの新人時代からエース候補として期待されており、ネオへ移籍後、NEO参加後はNWA認定女子パシフィック&NEO認定シングル王座初代王者に君臨。今大会まで12度の防衛に成功し、まさに女子プロ界のトップ選手であった。
 タニーは京子にあこがれて全女に入門。京子の後を追ってネオに移籍し、NEOではブレーンとなって、数々の異色マッチをプロデュース。引退後はかねてから勉強中だった鍼灸師の道へ進む。
 宮崎はJWPでデビューし、一度は引退しながらもJ’dで復帰。メキシコなど海外を渡り歩いた後、00年にNEOに入団。今年10月には男子レスラーに混じって蛍光灯デスマッチにもチャレンジした。

「NEO解散試合」は、選手たちがNEOのテーマ曲で入場。田村組がタニー&宮崎のNEOマシンガンズの持ち味を生かし、恒例の掛け合いや3人同時の恥ずかし固めで客席を盛り上げれば、若手チームはガムシャラに食らいつき、残り30秒を切ったところで勇気が3選手に次々とデスバレーボム。3人が同時にカバーに入った瞬間に10分時間切れのゴングが鳴らされるも、レフェリーがそのままカウントを続行。「幻の3カウント」によって、NEOの魂が若手選手に受け継がれた。

「N・E・O!」の掛け合いで歴史に幕

この大会で引退となる(左から)宮崎有妃、タニー・マウス、田村欣子は試合後笑顔で記念撮影 【前島康人】

 引退セレモニーではH2Oの「思い出がいっぱい」が流れるJWP、アイスリボン、WAVEといった現行の女子プロレス団体やOG選手、男子選手など総勢約50人が駆けつけて記念品を贈呈。その後、1人ずつプロフィールが読み上げられ、各選手がリング上からファンに最後のメッセージを贈った。

「この四角いリングが本当に大好き。本当に輝けたと思う。また輝きを求めて旅に出たい」(田村)、「NEOがなければ自分はここまでプロレスを続けることもなかった。NEOがあったからこそ、プロレスが楽しいと気付いた。16年間支えていただき、本当に幸せでした」(タニー)、「今思えば、私はNEOに入るためにプロレスラーになったんじゃないかと思う。NEOの仲間がいたからこそ、この10年間やってこれた」(宮崎)と、それぞれが感謝の気持ちを伝え、引退の10カウントゴングへ。
 最後の選手コールが行われると、宮崎には赤、タニーには黄色、田村には青の紙テープが投げ入れられ、リング上が3色に染まった。

 続いて新旧NEO所属選手とファンによる「N・E・O!」の掛け合い、胴上げの後、3選手が騎馬に乗って退場。選手も観客も笑顔に包まれたまま、3選手の16年間のプロレス人生、そしてNEOの10年半の歴史に幕が降ろされた。

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著者プロフィール

静岡県沼津市出身。埼玉大学教養学部卒業後、新聞社に勤務し、プロレス&格闘技を担当。退社後、フリーライターとなる。スポーツナビではメジャーからインディー、デスマッチからお笑いまで幅広くプロレス団体を取材し、 年間で約100大会を観戦している 。最も深く影響を受けたのは、 1990年代の全日本プロレスの四天王プロレス。

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