「68番目の男」が独立リーグからの飛躍を期す
四国・九州独立IL愛媛 鶴岡賢二郎

ドラフト当日に流した涙

2010年度プロ野球ドラフト会議で一番最後となる68番目に指名された鶴岡
2010年度プロ野球ドラフト会議で一番最後となる68番目に指名された鶴岡【寺下友徳】

 ことし68人が指名された「2010プロ野球ドラフト会議」。19時25分、その最後に横浜の8巡目指名を受けたのは四国・九州アイランドリーグ所属・愛媛マンダリンパイレーツの鶴岡賢二郎(23歳 ※鶴は雨かんむりに鶴)であった。

 その瞬間、球団事務所でチームメートや報道陣、ファンの拍手と歓声を受け、緊張の表情を崩した鶴岡。記者会見では「遠くから来た自分を愛媛県民のように暖かく迎えてくれたみなさん、ありがとうございました」と話すと、しばらく視線を落として肩を震わせた。そして、「この感謝の気持ちは一生忘れません。このご恩は一日も早く1軍でプレーすることで返したい」と、こみ上げてくる涙を拭うことなく、これまで溜め込んでいた想いを一気に吐き出したのであった。

甲子園のスターが挫折を経験

春日部共栄高時代は甲子園で、大会ナンバーワン左腕だった大阪桐蔭高・辻内から本塁打を放った
春日部共栄高時代は甲子園で、大会ナンバーワン左腕だった大阪桐蔭高・辻内から本塁打を放った【写真は共同】

 春日部共栄高では強肩強打の捕手として05年夏の甲子園に出場し、1回戦では大阪桐蔭高の前に7対9と敗れるも、この大会屈指の左腕であった辻内崇伸(現・巨人)からバックスクリーンへ豪快な一発を放った鶴岡。その後、AAAアジア選手権の日本代表に選出され優勝の栄冠を勝ち得たことにより、彼は一躍「甲子園のスター」の称号を得ることになった。

「将来、指導者になるために小中高の体育教員免許を取る」と目標があったためにプロ志望届は提出しなかったが、日本代表で田中将大(駒大苫小牧高→東北楽天)、山口俊(柳ヶ浦高→横浜)らのボールを受けたことで、「大学を卒業したらプロへ行く」決意はますます強まることになった。かくして彼は4年後、2つの夢達成を目指し日体大野球部の門をたたく。

 ところが、日体大で鶴岡はほとんど出場機会を与えられることのないまま4年間を過ごす挫折を味わった。教員免許取得の目標は達成できた一方、スポットライトを浴びるAAA代表のチームメートと大きく水を空けられた現実。「一緒にやっていたのだから、自分もやれるはず」と自分の実力を信じながら、それを発揮できる場を与えられない日々に、彼は悩み苦しみ続けることになった。

 そこで鶴岡は大きな決断を下す。大学卒業後の進路を1年でNPBに進める独立リーグへ定め、愛媛マンダリンパイレーツの独自トライアウトを受験。そしてことし2月、彼はこれまで縁もゆかりもなかった愛媛の地で、2つ目の夢を実現させるべく新たなスタートラインに立ったのである。

独立リーグでの苦闘を経てNPBへ

強肩とリード面で評価が高い鶴岡
強肩とリード面で評価が高い鶴岡【寺下友徳】

 とはいえ、実質4年間の試合ブランクはやはり大きなハンディとなって彼にのしかかった。開幕戦では先発出場を果たすも前期は3年目・松原準との併用が続いた。チームも5チーム中4位と、前年までの5年間で絶対的存在だった梶原有司(現・北海道日本ハムブルペン捕手)の穴を埋められなかった。捕手経験のある沖泰司監督からリード面での甘さを厳しく指摘され、ベンチで悔し涙を流す日もあった。

 しかし、「投手のことを思っていろいろと聞いてきてくれる」と巨人育成2位指名の岸敬祐も認める旺盛な向上心は、後期になって実を結び始める。捕球から2塁到達まで2秒を切る肩に正確性が増し、レギュラー定着を果たすとリード面も格段に進歩して、チームの2位躍進に貢献した。

 シーズン打率2割を割ったバッティング(45試合に出場して89打数16安打・1本塁打・10打点・1割8分)、「これからまだやらなくてはいけない」と本人も認めるキャッチング面も含め課題はまだ多いものの、それ以上にNPBとは比較にならない過酷な環境で成長できた心身のタフさは、「高校時代からずっと彼のことは追いかけていたが、大学で試合に出られなかったことをバネに、逆境を跳ね返すプレーをしてくれた」(河本明編成部長)と、捕手を強化ポイントとしていた横浜から高い評価を得るに十分なものだった。


「ドラフト当日、しばらく連絡がなかった山口から電話がかかってきて。『おめでとう』と言ってもらいました」

 11月11日に契約金700万円・年俸500万円(いずれも推定)で横浜との仮契約を果たした直後に、「(AAAアジア選手権で遠征した)韓国では同部屋だった」横浜の守護神・山口から思わぬ祝福があったことも明かしてくれた鶴岡。独立リーグでの濃密な時間を糧に、その山口と6年ぶりにバッテリーを組み、横浜スタジアムで勝利のハイタッチを交わす日はもうすぐそこまで迫っている。


<了>

寺下友徳
寺下友徳

1971年、福井県生まれの東京都東村山市育ち。國學院久我山高→亜細亜大と進学した学生時代は「応援道」に没頭し、就職後は種々雑多な職歴を経験。2004年からは本格的に執筆活動を開始し、07年2月からは関東から愛媛県松山市に居を移し四国のスポーツを追及する。高校野球関連では「野球太郎」、「ホームラン」を中心に寄稿。

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