松坂、岡島、田沢それぞれの2010年=Rソックス日本人選手を振り返る

カルロス山崎

岡島の来季契約は球団側次第

自身初のDL入りをするも、戦列復帰後は好調を維持した岡島 【Getty Images】

 目標としていた4年連続60試合以上の登板を果たせなかった岡島秀樹は、今シーズンを「体のキツい1年だった」と振り返った。8月には自身初の故障者リスト(DL)入りを経験したが、それでも56試合に登板。46回を投げ4勝4敗、防御率4.50、WHIP(1イニング当たりの被安打+与四球)は1.72という成績に終わったが、原因は「今年1年、足をかばいながら投げていた。それが腰にもきて、DL入りにつながったと思う」と明確にしている。体調を整え、8月末に戦列復帰してからは、持ち味である制球力を取り戻すことに成功し、いい形でシーズンを終えることができた。
 「プレーオフに行けないのは残念だが、オフはしっかりと体のケアをして、来年をいい形で迎えたい」と、プロ17年目を迎える2011年に向け、まずはしっかりと体を休ませるという。

 ただ、来年もレッドソックスのユニホームを着るかどうかについては「保有権を持つボストン次第。もし、ボストンが契約しないというのであれば、アメリカでも日本でも、野球ができればどこにでも行く」と話すなど、他球団への移籍をほのめかす発言もあったが、レッドソックスが岡島の保有権を放棄するとは思えない。ただ、岡島の今季年俸は275万ドル(出来高は含まず)と決して高くはない。今オフも、球団側と年俸調停を回避し、5年目の契約を結べるかどうかは、球団側の評価次第ということになるだろう。

手術を受けた田沢は公式戦に出場せず

 一度も公式戦のマウンドに上がることなくシーズン終了を迎えた田沢純一は、今もフロリダ州フォートマイヤーズにある球団施設でリハビリとトレーニングに励んでいる。
 4月に右ひじ靭帯(じんたい)の移植手術、いわゆるトミー・ジョン手術を受けた理由は「キャンプ終盤に検査を受けたら、切れかかっているところが見つかった」から。田沢によると、「社会人(新日本石油ENEOS)の時から張りはあった」というが、『即手術』という、レッドソックスの決断の早さには本人も驚いたようだ。

 「トレーナーは、何人もそういう選手を見ているから『戻るよ』って簡単に言う。でも、当事者としては簡単に戻ってこられるのかって、正直、疑問に思った」

 当初は疑問や不安ばかりが頭の中を交錯していた田沢だが、米国にはトミー・ジョン手術を受けた投手があまりにも多いことを知る。そして「ひじが悪いわけでもないのに、子どものひじにメスを入れさせる親も珍しくない」ことも知る。田沢は「米国人の前向きなところを見習って」、ポジティブに考えるようになった。
 
 今月に入ってから、キャッチボールの距離は120フィート(約36.6メートル)まで伸び、ボールの軌道も低くなりつつある。11月に帰国するまでに1度か2度、ブルペンに入る可能性もあるようだ。田沢は明るい表情でこう続けた。
「今は痛みもなく投げられている。ずっと何年も前から張りがあったので、復帰が楽しみ。そんな簡単にはいかないと思うが、張りがなく投げられることを楽しみにしている」

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著者プロフィール

大阪府高槻市出身。これまでにNACK5、FM802、ZIP-FM、J-WAVE、α-station、文化放送、MBSラジオなどで番組制作を担当。現在は米東海岸を拠点に、スポーツ・ラジオ・リポーター、ライターとして、レッドソックス、ヤンキースをはじめとするMLBや、NFL、NHLなどの取材活動を行っている

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