アルゼンチン代表監督をめぐる紆余曲折

グロンドーナの戦略

次期監督候補の1人であるビアンチ(写真は06年のアトレティコ・マドリー監督時代のもの) 【Getty Images】

 では、グロンドーナが考えを変えるに至った背景は何だったのか? 以前のコラムでも述べたように、現大統領のクリスティーナ・キルチネルはマラドーナ続投を希望していた。また、政府が国内リーグの放映権を買い取るなどかなりのバックアップを行っていたため、グロンドーナは当初、アルゼンチン代表の構造は何一つ変えないという戦略を立てたのだ。
 11年には重要な鍵を握る2つのイベントがあることも影響しているだろう。1つはコパ・アメリカ(南米選手権)、もう1つは会長選挙である。自国開催の大会で結果が出なければ、マラドーナに逃げ道はない(優勝するか、辞任するかのどちらかだ)。この賢い男はすべてをかんがみて、今後大統領や自国のスーパースターからの圧力から解放されるには、今は現状のままいく方が得策と考えたのだ。

 だが、その“自由”は予想より早くやって来た。大統領との面談にマラドーナが出席しないことを決めたからだ。W杯の慰労のパーティーだったが、このころのマラドーナは自宅に閉じこもり、引き続きアルゼンチン代表の監督を務められるよう自らを奮い立たせていた。
 それから数日後、マラドーナはベネズエラに滞在していた。親友でもある同国のウーゴ・チャベス大統領の招待を受けたのだ。この時はまだ、自らの去就についてまだ決断を下していないことを明かし、「ベネズエラにはウーゴの助言を求めに来た」と発言した。つまり、マラドーナは本人の意図はどうあれ、自国の大統領より他国を優先したという形になったのだ。

 一連の出来事を受け、政府はこれまでと同じように熱狂的にはマラドーナを支持しなくなった。この機を利用して、グロンドーナは“マラドーナ切り”を決断する。7人のコーチ陣を拒否し、彼が続投をあきらめざるを得ない状況に追い込んだのだ。そしてAFA会長は「われわれがマラドーナを解任したのではなく、彼が条件を受けれずに去ったのだ」と自らを正当化した。

サベージャかビアンチか……

 AFAは現在、無言を貫いて嵐が過ぎ去るのを待っている。その一方で、8月11日にダブリンで行われるアイルランド戦、9月7日にブエノスアイレスで予定されている世界王者スペインとの親善試合は、U−20アルゼンチン代表監督のセルヒオ・バティスタが指揮も執ることを発表した。

 有力な後任候補として名前が挙がっているのは、09年にエストゥディアンテスを率いて南米チャンピオンに輝いたアレハンドロ・サベージャ(80年代にビラルドのもとで選手としてプレーした)と、グロンドーナとビラルドがあまり好意を抱いていないカルロス・ビアンチだ。ある調査では、国民からの支持が一番多いのはビアンチだという話もある。先日ビアンチは、GMのカルロス・ビラルドが一切干渉しないことを条件に、代表監督への興味をのぞかせた。また、バティスタも2つの親善試合の結果次第では、有力候補に躍り出るだろう。

 ここ何日かのアルゼンチン代表は、最悪のシナリオへと突き進んでいる。それは、南アフリカでの惨敗よりも厳しい状況かもしれない。彼らは果たして、そこから抜け出せるのだろうか。

<了>

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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