バレー全日本男子・越川優インタビュー イタリア挑戦で「根本の考え方が変わった」

田中夕子

全日本のエース、越川優。海外修行を経て帰国した今季、新たな挑戦が始まった 【坂本清】

 バレーボール全日本男子のエース・越川優が、約半年間のイタリア・セリエA2挑戦を経て帰国。今秋の世界選手権を視野に、国内での全日本合宿で汗を流している。
 サーブレシーブの安定、守備からの攻撃、高さのある相手への攻め方。想定内と、想定外。憧れの地でプレーし、手にしたものは数えきれない。
「全日本が勝つために、自分のすべきことをするだけ」
 いち選手として、全日本代表として、越川優の新たな挑戦が始まった。

五輪で思い知らされた、世界との差

――海外でプレーしようとイメージしたのはいつごろからでしたか?

 初めて海外でプレーすることを意識したのは、高校を卒業するときです。それから漠然とですが、「イタリアでプレーできたらいいな」と思っていました。高校時代のコーチからも「海外へ行けよ」と冗談半分で言われていたこともあり、「いずれはやりたい」と考えていました。
――具体的には、いつから海外移籍を考え始めましたか?

 4年前、サントリーの社員選手からプロになったときです。実は、プロになると同時に海外へ行こうと決めていました。

――海外でプレーしたいと思った一番の理由は何ですか?

(プロになった年の)2006年に「海外でやりたい」と思ったときは、それが日本でプレーするよりも自分にプラスになると思っていたんです。でも、08年に北京五輪を経験してからは、日本でプレーしている選手だけで戦っても、世界では勝てないと思うようになった。それが大きかったです。

初めて出場した五輪で、世界との差を痛感した 【写真は共同】

――なぜ、そのように感じたのでしょうか?

 前々から思っていたのですが、五輪であらためて思い知らされたし、とどめを刺されましたね。このままじゃ、絶対に無理だなと。正直なところ、監督が(植田)辰哉さんになってからそれまでとはやり方が変わって、アジアでは勝てるチームになりました。世界ではなかなか勝てませんでしたが、ある程度の結果はついてきて、五輪出場も決まった。「このままやっていけば、何とかなるんじゃないか」と思っていたんです。でも、実際に五輪で戦ってみてからは、このままじゃ絶対に無理だと感じました。要素はいっぱいあります。技術面だけでなく気持ちの面や、環境への対応力。バレーボール以外の経験値が足りないことも含め、五輪に出て、世界との違いは大きいと感じました。

――五輪を機に、「海外でプレーしよう」が「海外でプレーしなきゃ」に変化したということでしょうか?

 それはありますね。いくら国際大会を重ねても、五輪の状態で戦える大会は五輪しかありません。ワールドリーグは各国がホーム&アウエーで戦うにしても、そこにはバレーボール選手やバレーボールの関係者しかいません。たとえ不便があっても、融通が利きやすい環境です。ましてや今のチームは、北京五輪までの4年間、ワールドリーグとアジア大会以外すべての国際大会をホームの日本で戦ってきました。恵まれた環境の中で戦わせてもらえることはとてもありがたいし、自国開催は自分たちにとって有利です。でも、五輪で戦うことを考えたら、断然不利。自分たちで何かをしなければならない環境を知らなければいけないと思ったし、世界との技術的な壁を、国際大会でしか経験できないのでは成長も限られたものになる。それならば、自分でその環境をつくっていかないとダメだ、海外でやるしかないという思いは強くなりました。

言葉の壁を超えることで、プレーにも好影響が出たと話す越川 【坂本清】

――実際にイタリアへ行って、想像以上に苦労したことは?

 言葉です。何を言っているか、最初は全然分かりませんでした。チームの外国人枠は3人なのですが、自分以外の外国人選手はイタリア語に近いスペイン語を話すスペイン人と、英語ペラペラのポーランド人の二人。そこに中学や高校でも英語を勉強した覚えすらない僕が入るわけですから(笑)。通訳もいないし、チームメートからは「お前は英語もイタリア語も喋れないのによくイタリアに来たな」と言われました(笑)。さすがにあいさつ程度は勉強していきましたが、実際に使う言葉は全然違うので、3分の1程度しか使えないんです。もともと勉強していない中の3分の1ですからね(笑)。バレーの用語も全然違うし、とにかく大変でした。

――コミュニケーションが取れるようになったのはいつごろでしたか?

(セリエA2開幕直後の10月に)ケガをして、日本で手術をした後にイタリアの施設でリハビリをしました。そこに来る患者はスポーツ選手に限らないので、いろいろなイタリア人と接することができたんです。その経験が大きかったですね。例えば名前を聞かれて、「優」って答えるでしょ。そうすると「名前には意味があるものだから、『優』の意味を教えてくれ」と言われるんです。でも、イタリア語が分からないから説明できない(笑)。だから必然的に勉強するようになったんです。それまでは、日本ではこんなにペラペラ話すのに(笑)、言葉が分からないせいで自分から話し掛けられませんでした。でもそのころを境に、イタリアという国自体に溶け込めたんです。チームメートともコミュニケーションが取れるようになったし、満足なプレーができることにもつながったと思います。

1/3ページ

著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント