日本のベスト16に寄せて=宇都宮徹壱の日々是世界杯2010(6月25日@プレトリア)

宇都宮徹壱

ルステンブルクからプレトリアへ

試合前、ロフタス・バースフェルド・スタジアムのスタンドで見かけたスペインのカップル 【宇都宮徹壱】

 大会15日目。前夜から翌朝にかけてずっと原稿を書いていたので、今もまだ日本のグループリーグ突破の余韻が抜け切れずにいる。ルステンブルクの宿の出窓から見上げる空は、まるで昨夜の日本を祝福しているかのような快晴であった。
 この日は、ここまで同行した取材者仲間といったん別れ、タクシーをチャーターして、チリ対スペインが行われるプレトリアに向かうことにした。およそ1時間強のドライブで、料金は700ランド(約8000円)。レンタカーを借りた方が安く済むが、ひとりでの運転は自信がないし、睡眠不足もあったので、ここは安全をお金で買うことにした。ドライバーに「プレトリアに着くまで寝かせてくれ」と頼み、つかの間の睡眠を貪る。

 やがてタクシーはプレトリアの市内に到着。この日は試合開催日のため、あちこちで交通規制が敷かれている。ドライバーは交通整理のボランティアスタッフに、どう迂回(うかい)すればいいのか尋ねているようだ。ただし、彼がしゃべっているのは英語でもアフリカーンス語でもない。「今、何語で話していたんだい?」と尋ねると「ツォンガ語だよ」という答えが返ってきた。では、いったいいくつの言葉を話せるのか。「イングリッシュ、アフリカーンス、ズールー、ツォンガ、コーサ、ソト、全部で6つだ」とのこと。この国では、バイリンガル、トリリンガルは当たり前。市井のタクシードライバーでも、これだけの言葉を駆使してコミュニケーションするのである。ちなみに南アフリカの公用語は全部で11もある。まさにマルチカルチャーの国だ。

 この日の試合会場であるロフタス・バースフェルド・スタジアムは、1923年に誕生した由緒ある競技施設で、地元のラグビーチーム、ブルーブルズの本拠地でもある。そして忘れてならないのが、決勝トーナメントに進出した日本代表が、このスタジアムで4日後にパラグアイと対戦するということだ。すでに何度も訪れている会場ではあるが、ここで新たな伝説が生まれるのかもしれないと考えると、何とも感慨深いものがある。
 あらためて決勝トーナメントの山を見てみると、チリとスペインが同居するグループHの1位チームが、日本と準々決勝と対戦する可能性があることに気づく。いや、もちろん気が早いとおしかりを受けるのは承知の上だ。それでも、そうした想像をあれこれ楽しめるのが、ベスト16に勝ち上がった国に与えられた特権であるのも事実。そうした喜びを与えてくれた日本代表には、いまさらながらに感謝の念に堪えない。

美しさと知略の応酬は、最後は談合へ

スペインは2−1でチリに勝利。グループHからはこの2チームが決勝トーナメントに駒を進めた 【ロイター】

 現在、ナショナルチームでは最も美しいパスサッカーを展開するスペイン。そのスペインの攻撃を封じて返り討ちにすることに情熱を燃やしている(はずの)戦術おたくビエルサ監督が率いるチリ。サッカーファンにとっては、ある意味、同日行われたブラジル対ポルトガル(0−0でドロー)以上に関心の集まるカードであったはずだ。実際スタンドには、ほぼ満席の4万1958人もの観客が集まり、スペインのスターティングメンバーが発表されると、スター選手の名前が読み上げられるたびに大歓声が起こった。

 序盤はスペインが押し込む展開が続いた。対するチリは、しっかり守備ブロックを形成。反撃の際は、一瞬で直線的なパスが通り、次の瞬間にはボールと3人の選手がペナルティーエリアに侵入している。緊張感あふれる攻防が続き、好ゲームの予感を確信し始めたころ、あっけなくスペインが先制する。24分、トーレスがディフェンスラインの裏でスルーパスを受け、チリGKブラボがペナルティーエリアを飛び出してカットするも、こぼれ球をビジャが無人のゴールに蹴り込んでネットを揺らす。ブラボの飛び出しはあまりにも無謀であり、チリにしてみればずい分ともったいない失点であった。

 スペインは37分にも、イニエスタのゴールで追加点。その際、チリMFエストラーダが「背後からトーレスを引っかけた」という判定を受け、2枚目のイエローで退場処分を受けてしまう。いささか微妙な判定ではあったが、主審の癖を見抜けずに必要のないファウルを犯したチリの選手にも責任はある。この日、笛を吹いたメキシコのロドリゲス主審は、いささかカードを連発させる傾向があり、ドイツ対オーストラリアの試合ではケーヒルを一発退場にしている。いずれにせよチリは、前半に2点と1人の選手を失ってしまった。こうなると後半の関心は、おのずとビエルサ監督の手腕に注がれる。

 後半、ビエルサ監督は攻撃の選手2人を入れ替え、巻き返しを図る。この交代は、すぐさま効果を表し、代わって入ったミジャールが後半早々にゴールを決める。これで1点差。ここからにわかにゲームはアップテンポになっていく。後半10分には、スペインはセスクを、10分後にはチリもオレジャナを投入。前者は中盤に彩りを加えるパサー、そして後者は攻撃のアクセントとなるドリブラーである。だが皮肉にも、彼らが加わることによって、かえってゲームはこう着状態に陥ってしまう。そのうち、裏のスイス対ホンジュラスの試合がスコアレスドローに終わることが濃厚となると、試合も談合めいた展開となる。終了5分前には、次々と観客が席を立つようになり、結局1−2のスコアのまま試合終了。グループHは、スペインとチリが決勝トーナメント進出を果たすこととなった。

素晴らしい未体験のゴール

ロフタス・バースフェルド・スタジアムは、ピッチレベルの通路からスタンドに移動できる 【宇都宮徹壱】

 この日試合を終えた結果、スペインはポルトガルと、チリはブラジルと、それぞれベスト8を懸けて戦うこととなった。あらためてトーナメント表を見てみると、ドイツ対イングランド、アルゼンチン対メキシコなど、ラウンド16にしてはもったいない好カードが少なくない。さらにいえば、欧州の6チームは、いずれも欧州同士のカードが組まれており、この時点でベスト8には欧州から3チームしか勝ち進めないことが決まった。私自身、今大会生で見たヨーロッパのチームは、オランダ、デンマーク、スペインの3チームのみ。こうなると、2年後にウクライナとポーランドで開催されるユーロ(欧州選手権)を見にいくしかないかと、真剣に考えたりもしてしまう。

 今一度、ベスト16の顔ぶれを大陸別で見てみよう。最多は欧州の6だが、それ以上に驚くべきは南米の5。何と、本大会出場国すべてがベスト16に残ったのだ。これは90年のイタリア大会以来のことだが、当時はグループリーグ3位でも上位進出のチャンスがあった。今大会のように、5チーム中4チームがグループ首位を独占したのは、特筆すべきことである。3番目に多かったのが、北中米・カリブとアジアで、それぞれ2。そしてアフリカが1(ゼロでなくて、本当に良かった)。オセアニアはゼロであったが、唯一の出場国であるニュージーランドが、イタリアよりも上(すなわち前回優勝国よりも上!)のグループ3位となったことは、大いに誇ってよいだろう。

 そして私たちの日本もまた、この16チームの中に名を連ねている。ちなみにFIFA(国際サッカー連盟)ランキングで、16チーム中でどん尻なのは、日本(45位)と韓国(47位)。しかし両チームとも、祖国から遠く離れた地で、欧州やアフリカの強豪を相手に互角以上の戦いをした上で、見事に決勝トーナメント進出を果たしたのである。FIFAのブラッター会長は最近、アジア枠削減の可能性を示唆する発言をしたそうだが、なかなかどうして、アジアはしっかり結果を出しているではないか。この事実について、ぜひとも会長のコメントをいただきたいものである。

 いずれにせよ、グループリーグの戦いはこの日で終わり。翌日からは「負ければ終わり」の決勝トーナメントがスタートする。グループリーグのときのように、半年もかけて相手の分析をする余裕などない。目の前の敵を倒したら、3〜4日後には新たな敵が待ち構えている、まさに嵐のような戦いが始まるのである。ここから先は、まったくの未体験ゾーン。太陽系外にロケットを飛ばすような感覚であろう。もちろん、極めて困難なミッションであることは言うまでもない。むしろこうなったら、そこに「当事者」として参加していることの重みを十二分に認識した上で、この千載一遇の状況を存分に楽しもうではないか。およそ理解に苦しむ理由を並べ立てて「日本は敗れるべきだ」などという論調は、この際、まともに取り合う必要などない。今はただ日本国民が一丸となって、遠い南アの地で戦う代表に勇気と力を送ることを考えるべきである。何しろ私たちの目前には、本当に久々に日本国民が一体となれる、素晴らしい未体験のゴールがあるのだから。

<この項、了>
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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