初代タイガーマスクの30年を振り返る 佐山サトルが歩んだプロレス人生の軌跡
80年代の新日本プロレスマットで活躍した藤波、初代タイガー、長州 【t.SAKUMA】
しかし、83年に突然タイガーマスクとしての引退を表明、マスクを脱ぎ捨て佐山サトルの素顔を公表。その後、2代目・三沢光晴さん、3代目・金本浩二を経て、現在では初代の指導を受けた4代目がタイガーマスクの称号と意思を受け継いでいる。
佐山はザ・タイガー、スーパー・タイガーとして新たな道を模索し、05年のリアルジャパンプロレス旗揚げ以後は再び初代タイガーマスクとして活躍。現在も「プロレスを必ず本来の姿に戻す」ためリングの上で戦い続けている。
日本のプロレス界に大きな功績を残した初代タイガーマスクの伝説を辿りながら、彼が歩んできた30年の軌跡を振り返ってみたい。
第一期 アニメから飛び出したマスクマン
猪木氏の弟子だった新日本プロレス時代、初代タイガーはジュニア・ヘビー級で活躍 【スポーツナビ】
対戦相手はメキシコ人選手を中心に、ダイナマイト・キッドやブラックタイガーなどのイギリス人選手、グラン浜田や小林邦昭ら日本人選手など実力者ばかり。彼らを相手に2年4カ月もの間、1つの反則負けを除いて全勝していること、そして、WWFとNWAのジュニア・ヘビー級二冠王に輝いた実績は、あまりにも素晴らしすぎます。
第二期 マスクとの決別
84年にUWFで復活したザ・タイガーは前田日明と組み、藤原喜明&高田伸彦と対戦。レガースの着用が斬新だった 【(C)週刊プロレス】
この時期のリングネームは、ザ・タイガーを経てスーパー・タイガー。空中技を封印し、キックと関節技を主体に闘ったタイガーは、スネにレガースを着用したコスチュームを導入するなど、UWFのメンバーの中でも先頭に立ってシューティングプロレスを創り上げたことが最大の功績です。
タイガーが目指したのは、流血も場外乱闘も空中殺法もない、競技性の高いプロレス。当時のUWFはテレビ中継がなかったため、試合を観た人は決して多くはありませんでしたが、ライバルである藤原喜明や前田日明らヘビー級選手と互角、またはそれ以上に闘った試合は、一部のファンの間で今も伝説になっています。また、「格闘技にはマスクは不要」との考えから、スーパー・タイガーは再びマスクと決別、85年2月18日のマッハ隼人戦から退団までの間、素顔でファイトしていました。
第三期 猪木、ザ・コブラと初対決
03年掣圏道でのザ・グレート・サスケ戦で初登場したザ・マスク・オブ・タイガーは上半身裸のコスチュームが復活 【(C)週刊プロレス】
UFOへの参画や掣圏道の旗揚げなども含めて、実験的・模索的要素の強かったこの時代のタイガーの活動は非常に幅広く、アントニオ猪木やザ・コブラとの初対決や全日本プロレス参戦などが実現していることも見逃せません。
97年に新日本プロレスに参戦した際には「超本格的に復帰したい」という理由から、タイガーキングに改名するも、みちのくプロレスでは、サトル・サヤマの名前で闘ったり、掣圏道ではザ・マスク・オブ・タイガーを名乗ったり、リングネームが定まらなかったのもこの時期の特徴です。そんな中「'97格闘技の祭典スペシャル」では、スーパー・タイガーが復活。かつての先輩・藤原喜明とのシングルマッチをアントニオ猪木がレフェリーとして裁くという夢の顔合わせも実現しました。
第四期 夢のカード実現、三沢さんとのタイガー対決
08年12月の後楽園で初代タイガーと三沢さんのタイガー対決が実現 【t.SAKUMA】
2代目ザ・タイガー、2代目スーパー・タイガー、タイガー・シャーク、サミー・リーJr.など、初代の魂を受け継ぐ選手たちが次々に登場するリアルジャパンプロレス。「プロレスを必ず本来の姿に戻す」という天才レスラーの言葉を信じて、その闘いぶりに今後も注目していきたいと思います。
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