移籍市場から見た2010年以後のJリーグ(後編)=(株)ジェブエンターテイメント代表 田邊伸明氏に聞く

宇都宮徹壱

トランスファーを通して「文化を作る」

タイのムアントンに移籍した財前。彼の移籍が今後の流れを作るかもしれない 【Photo:築田純/アフロスポーツ】

――で、タイに行った財前は、どうなったんでしょう?

 もちろん契約しましたよ。33歳で2年契約。トライアルで向こうの人たちはサプライズだったわけです。最初は「33歳?」とか言われたわけだけど、試合に出たら「エクセレント!」と言われて、すぐに契約して。

――年俸はいくらくらいですかね?

 はっきり言えないですけど、JFLよりもずっと高いです。それとムアントンは2部から昇格して1年目で優勝しているチームなんですね。サイアムグループという財閥のメディア王がいて、タイにミランやチェルシーを呼んでいる人たちなんですけど、そこが持っているチームなんです。そのムアントンが国内で優勝して、それでACL(アジアチャンピオンズリーグ)のプレーオフであと一歩のところまでいったんです。もし勝っていたらガンバと同じグループに入ったんですよ。夢がある話でしょ?

――確かに夢がありますね。ただし田邊さんにとってビジネスになるんでしょうか?

 財前については、はっきり言ってタイに連れて行っても商売にならないです。僕も含めてうちのスタッフはまだ誰もムアントンには一度も行っていないですよ、コストが出ないから。財前だけテストで行かせて「良かったな、じゃあ行け」って感じで(笑)。乱暴だけど仕方がない。それでも本人が喜んでくれるのなら、こちらとしても満足です。これをきっかけにタイに行って、もっと市場を開拓しないといけないんだけど。でもそれ以上に、そういう文化を作らなければいけないというのが、このアジアでのチャレンジなんです。

――文化を作る……なかなかいい言葉です。いずれ日本とアジアで人的交流がもっと広がっていったら、さらに面白い展開が見られるかもしれない。今後、アジアの移籍先としては、どのあたりに注目していますか?

 タイ、マレーシア、インド、インドネシア、シンガポール、あとベトナム。お金でいったら、インドかインドネシアなんです。いい選手なら1000万(円)くらいもらえるらしい。岐阜にいた大友(慧)なんかは、インドネシアのクラブ(ペルシブ・バンドン)に行ったけれど、そこそこいい契約しているんですよ。そういうのを僕らが調べて、道を作っていく。これも文化作りだと思います。で、そういう国でプレーしていた選手が引退して、日本に帰ってきたときに、彼らはわれわれが持っていないような知識を持ち帰ってくるわけです。そうやって文化って作られていくんじゃないかと思っています。

この仕事は1人ではできない

――田邊さんのお仕事が、ただ選手をトランスファーするだけでなく、文化を作るという高い目標があることはよく分かりました。そこであらためて、エージェントというお仕事について教えていただきたいのですが、現在、契約している選手の数は何人でしょうか

 41人います。もちろん、1人で抱えているわけではありませんよ。こういう取材を受けるとき、いつも「僕」が主語になりがちですけど、これは1人じゃできないですよ。ほかのエージェントの人は知らないけれど、当社の場合は業務を分担しているんです。「調理師免許」を持っているのは僕なので、調理はする。つまり、選手とのコミュニケーションは原則、僕がやります。けれども、選手とコミュニケーションするにあたって必要なツールというものは、ウチの会社で分業しているんです。

――具体的には、どういう仕事があるんでしょうか?

 例えば国際移籍についてはもう1人のエージェントである仁科佳子が担当しています。それから選手のパフォーマンスのチェック。これは毎試合、ウチの中でチームを作っていて、彼らが分担して選手のパフォーマンスのチェックを僕にリポートしてくれる。それから選手のメンタル的な部分に対して訴求していくアプローチというのも、ウチの中で考えている人間がいる。例えば、ある選手が、体は切れているのになかなかシュートが入らない。それはなぜなのか。そういうときに、どういうアプローチをすべきか、ということを考えるスタッフもいるわけです。

――なるほど、かなりシステマティックなんですね

 僕らの仕事というのは、実はすごくシンプルで、選手が活躍することで年俸が上がって、それで手数料も上がるという仕組みですから。ただし、いかに年俸を上げるかを考える前に、いかに選手のパフォーマンスを上げるかということを考えなければならない。そのための3大要素は、トレーニング、栄養、休息。このうちトレーニングは、チームでやっていることだから、僕らは口出しできない。でも栄養と休息については、これはコンディショニングですから、そちらのアプローチはやっています。

――栄養管理のアドバイスは、クラブでもやっていると思うんですが

 まあ、シーズン初めに選手の奥さんを集めて、スポーツ栄養士の方が説明するくらいですね。ただし本質的に、それはクラブがやるものではないと思っているんです。だって、自己管理ですから。選手がグラウンドで最高のパフォーマンスを発揮するために、どこまで自分を突き詰めているか、ということじゃないですか。

――確かにそうですね

 財務管理にしてもそうですよ。選手の税務を当社の提携した税理士に見せるのも、そこでお金がもうかるわけではない。でも、選手がどういうところに気を使っているか。例えば、こいつは外食ばっかり、飲んでばっかりだなってすぐに分かる(笑)。でも、意識の高い選手は、スーパーの領収書を持ってきますよ。そういうふうに、グラウンド上で活躍するためのいろんなアプローチを考えているのは「僕が」ではなくて「会社が」なんですよ。だからこういう取材の場合、できるだけ「会社が」にしてほしいんですね。

代理人にとって最も重要な適性とは?

――分かりました。では選手が御社と契約する場合、どういう形でアプローチしてくるんでしょうか?

 昔はけっこう、ピンポイントで来るケースが多かったです。「海外に行きたいので、田邊さん、お願いします」とか。でも今は「ちょっと話を聞きたいんですけど」って、いろんなエージェントの人に話を聞いて、それで決めるというパターンが多いですね。その結果、ほかのエージェントと契約する場合もあるけれど、僕も何人かに会って決める方がいいと思うんですよ。逆に、僕だけに「お願いします」と来る選手もいるけれど、いろんな人に会った方がいいとは言いますね。昔は、3〜4年親しくして、それで決めるというケースもあったんですけど。

――移籍ルールの改正によって、代理人と契約する選手が増えたとおっしゃっていましたが、それだけ選手も判断が早くなったと言えるのでしょうか

 判断は早いですね。それだけ身近なものになったと言えるのかもしれないし。僕らは移籍させることよりも、試合でどれだけ活躍させるかが仕事なんだけど、移籍ルールが変わる、フリーになる、そうすると代理人がいた方がいい、という考え方なんだと思います。そういう意味では選手の方から、しかも複数のエージェントにアプローチするというのが多くなりましたね。

――時代の変化に対して、代理人も変わっていかないといけない部分って、あるんでしょうか? 例えば外国人のエージェントとお仕事をしてみて、何か違いを感じることはあります?

 エージェントの仕事自体「こうじゃなければいけない」というのはないと思います。いろんなスタイルがあって、それこそルール無視でやっているのもいるし(笑)、怪しいのもいるし、選手をモノのように動かすことでもうけているのもいる。ただ、向こうの人間と仕事をすると、文化的にこっちの方が浅いわけですよ。日本人は変なところで義理だてする傾向があるんですね。それは悪いことではないんだけど、でも、そういう判断の早さというのは学ばないといけない。日本はやっぱり遅すぎますね。

――何だかサッカーと同じことが言えそうですね。では最後の質問です。代理人にとって最も重要な適性って何でしょう? これから代理人になりたいという人にとって、非常に気になるところだと思うんですが

 うーん、何だろう……(しばし沈黙)。人間性、かな。信用が一番だし、やっぱり恨まれたくないから。でも長いものに巻かれていてもだめなんですよ。文化を作るということは、摩擦を避けられないわけですから。それから、フットボールを愛する気持ち。あとは、物事を客観的に見る力。
 僕の中では、プロとは何かと問われれば、自分を客観的に見ることができる人だと思うんです。これは人間にとって最も難しいことなんですよ。特に個人だと、なかなか難しい。だから、会社でやることに意義があるんですね。移籍や契約で難しい局面になった時の、社内での議論はすごいですよ。ほとんどケンカ(苦笑)。それでも、スタッフの言葉に耳を傾けることは大事にしています。それがなければ、今の僕はないですから。

<了>

■田邊伸明/Nobuaki Tanabe
1966年生まれ。東京都出身。株式会社ジェブエンターテイメント代表取締役。和光大学卒。1988年に株式会社ジェブに入社、サッカーイベントの運営に携わり、1991年から北澤豪のマネージメントを始める。99年国際サッカー連盟の「FIFAPlayers' agent」のライセンスを取得。2000年よりエージェントとしての活動を開始。毎年2月と7月には「選手を支えるフットボールビジネス」セミナーを開催中。詳細はホームページにて http://www.jebentertainment.jp/

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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