またも苦杯のチーム青森 経験値に大きな開き

小川勝
 ▼2月22日 1次リーグ

 日 本 10101 010××|4
 スイス 02040 202××|10

(日)石崎−近江谷−本橋−目黒
(ス)グレイナー−クン−シャフェル−オット

スイスのディフェンス力

 3勝3敗同士の天王山。1次リーグの終盤、トリノ五輪銀メダルのスイスと、このような状況で対戦できること自体、日本代表「チーム青森」の成長の証しとも言えるが、その対戦で見せつけられたのは、過去2回の五輪で二つの銀メダルを取っているスイスのスキップ、ミリアム・オットのすごさだった。

 1試合を終えて、オットのショット率は94パーセント。複雑な状況で難しいショットをすることの多いスキップというポジションでは、70パーセント前後なら合格点だ。94パーセントというのは、野球で言えば4番打者が「本塁打2本と二塁打3本の5打数5安打」を打つのと同じくらいの貢献度だと言っていい。

 スイスの底力を見せつけられたのは、スイスのオフェンスではなく、むしろ日本が有利な後攻を取って攻めている時の対処。つまりはスイスのディフェンスだった。常に、日本が1点で諦めるしかない配置を的確に取って、日本のスーパーショットを許さなかった。

大舞台で繰り返された熱戦

 日本とスイス――というより、チーム青森とスイスのスキップ、オットのチームとの対決は、この4年間、大きな舞台で何度も繰り返されてきた。

 初対決は2006年トリノ五輪、1次リーグの最終戦だった。この時、スキップ小野寺歩の日本(チーム青森)は4勝4敗で、スイスに勝てば、決勝トーナメントに向けたタイブレークに出場できる可能性もある、という状況での対戦だった。結果は5−11。第8エンド、日本のギブアップ負けだった。

 そして、現在の新生チーム青森になって出場した08年の世界選手権では、まず1次リーグで当たって6−9の敗戦。しかし決勝トーナメント1回戦で再戦すると、今度は6−4で勝利した。その後、日本代表の新生チーム青森は、準決勝で王国カナダに延長の末、1点差負け。3位決定戦に回って、またしてもオット率いるスイスと対戦した。第8エンドを終わって7−8と粘ったが、準決勝の激闘で燃え尽きていた日本は、結局7−9で敗戦。あと一歩のところで、世界選手権のメダルを逃したのである。

同じような状況から優勝も

 オットのスイス。それはトリノ五輪、そして世界選手権の節目節目で対戦し、肝心要の一戦では、いつも苦杯をなめさせられてきた相手だった。

 オットは、ソルトレークシティー五輪時代のチームメートと、マーケティング・イベント会社を共同で経営しており、シーズンオフにはチューリッヒの事務所で仕事をしている。つまり競技環境は、チーム青森の選手たちと、だいたい同じだ。

 では、何が違うのか。結局のところ、それは経験というほかない。
 オットは38歳。現在、首位に立っているカナダのスキップ、シェリル・バーナードは43歳。現在2位で、日本が次に対戦するスウェーデン、トリノ五輪金メダルのスキップ、アネット・ノルベリも43歳。これが世界のカーリング一流国の、一流選手の年齢層なのである。

 日本のスキップ、目黒はまだ25歳だ。世界の一流選手は、目黒が生まれた頃からカーリングをやっている。

 日本は3勝4敗となって、あと2試合。決勝トーナメントの上位4カ国に入るには、基本的には2連勝するしかない。日本は昨年10月のワールド・カーリング・ツアー・バーノン大会(カナダ)で同じような状況からカムバックして4位決定戦のタイブレークを勝ち抜き、その後の決勝トーナメントも勝ち上がり、決勝では現在首位に立っているバーナード率いるカナダに勝って、優勝したことがある。勝負は、まだ終わったわけではない。
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著者プロフィール

1959年、東京生まれ。青山学院大学理工学部卒。82年、スポーツニッポン新聞社に入社。アマ野球、プロ野球、北米4大スポーツ、長野五輪などを担当。01年5月に独立してスポーツライターに。著書に「幻の東京カッブス」(毎日新聞社)、「イチローは『天才』ではない」(角川書店)、「10秒の壁」(集英社)など。

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