「若葉マーク」の日本代表、奮闘す=アジアカップ予選 イエメン代表 2−3 日本代表

宇都宮徹壱

平均年齢20.9歳の日本代表に求められるもの

試合前、スタジアムの外壁に掲げられた横断幕。この日、日本から3人のサポーターが駆けつけた 【宇都宮徹壱】

 イエメン戦当日。会場のアリムフシン・スタジアムは、対テロの厳戒態勢とはおよそ程遠い、何とも不思議な雰囲気に包まれていた。

 試合前日、現地のメディアオフィサーが「会場内では400人、会場外では600人、合計1000人の警備員を配置する」と豪語していたが、時折、迷彩服の警察官が目の前を横切るだけで、およそ物々しい雰囲気からは程遠い。キックオフ1時間前になって、ようやく警棒と盾を持った警官隊が多数入場してきたが(銃は持っていなかった)、それとてヨーロッパの国内リーグを見慣れた目には、さほど珍しいものでもない。仰ぎ見れば、空は快晴。スタンドに視線を移すと、観客は赤い鉢巻をして念仏のようなリズムのチャントを口ずさんでいる。あまりにも、あまりにものどかなサヌアの午後のひと時。ちなみにスコアボードの時計の針はあらぬ方向を指しており(止まっているわけではなかった)、コーナーフラッグはキックオフ5分前まで設置されることはなかった。

 さて、この日の対戦相手であるイエメンといえば、今回のアジアカップ最終予選の初戦の相手であり、昨年の1月20日に熊本のKKウイングで第1戦を戦っている。この試合は09年の年頭を飾る試合であり、熊本で行われる初の代表戦であり、そして予選の初戦という、まさに初物づくしのゲームであった。と同時に、選手の顔ぶれもまた実にフレッシュであった。先発メンバーの平均年齢が25.1歳、ひとケタキャップ数の選手は7人もいた。ちなみにこの試合では、背番号33を着けた岡崎慎司が代表デビュー5試合目にして初ゴールを挙げている。その後の岡崎の驚異的な成長については、今さらここで述べるまでもないだろう。

 今回の招集メンバー19名は、さらに若返って平均年齢は20・9歳。代表キャップ数があるのは、西川周作、金崎夢生、乾貴士、そして山田直輝の4名のみ。いずれもキャップ数わずか「1」である。これほど若いメンバーばかりが集まったのも、1月20日以降に変更されるはずだった試合が、当初の予定通り6日に行われることになったからだ。岡田監督自身、20日以降に試合が行われていたら「フル代表で戦うことを考えていた」と明言している。いわば多分に偶発的な理由による「若返り」であったわけだが、求められるミッションは変わらない。すなわち、勝ち点1以上を積み上げてアジアカップ最終予選を突破すること、である。それをクリアした上で、もしも去年の岡崎のようにブレークのきっかけをつかむ選手が出てくれば、今回のイエメン遠征は大成功といえるだろう。

若き日本代表にのしかかる2点のビハインド

スタジアムの警備にあたる警察官。この日は何事もなく、無事にキックオフを迎えることができた 【宇都宮徹壱】

 この日、岡田監督が選んだスターティングイレブンは以下の通り。
 GK権田修一。DFは右から、槙野智章、菊地直哉、吉田麻也、太田宏介。MFは守備的な位置に山村和也と米本拓司。右に柏木陽介、左に金崎、トップ下に山田。そしてワントップには渡邉千真。11人中9人が初キャップというのは、おそらくこれまで例がないだろうし、今後もしばらく破られない記録となるだろう。ちなみに山村は、流通経済大学の2年生。大学生のA代表デビューは、1990年の谷真一郎(筑波大)以来、実に20年ぶりのことである。

 このフレッシュな――というよりむしろ「若葉マーク」と命名したくなるような日本代表は、序盤は相手の予想以上にアグレッシブな姿勢に大いに面食らうこととなる。開始わずか2分、イエメンはFKから直接ゴールを狙い、慌てた権田がファンブルしたボールを拾って、さらに際どいシュートを放つ。ボールは枠をとらえることはなかったが、この一撃は若い日本を動揺させるのに十分だった。その後も、中盤でもたつく間にカウンターを食らう場面が続いた日本は、じりじりとラインを下げて防戦一方。13分にはコーナーキックから頭で押し込まれ、何もできないうちに先制点を献上してしまう。

 悪いことは続くもので、その4分後には、山田が相手DFに背後からタックルを受けて負傷退場。岡田監督は「重症ではないと思う」と試合後に語っていたが、自分では立ち上がれないほど痛んでいただけに、帰国後の診断が気になるところだ。山田をあきらめたベンチは21分に平山を投入。システムを4−4−2とし、ここに「国見ツートップ」が完成する。しかし、その後も日本はピリッとしない。相手の迫力にすっかりのまれてしまい、両サイドバックと守備的MFが最終ラインに吸収されたまま受け身の時間帯が続く。だが、この消極的な姿勢が、かえってイエメンを勢いづかせてしまう。39分には豪快なミドルを決められて0−2。若き代表に、敵地での2点のビハインドが重くのしかかる。

 この窮地を救ったのが、途中出場の平山であった。42分、金崎からのコーナーキックを高い打点からヘディングでたたきつけて、豪快にネットを揺さぶる。何と、初キャップで初ゴール。しかし平山は喜ぶ素振りはつゆほども見せず、そのままボールを抱えて自陣へと急ぐ。ちょうど相手GKが痛んで倒れていたこともあり、日本の選手たちは互いに声を掛け合いながら、それまでの浮き足立った状況を何とか克服することができた。その後、ロスタイムには相手のFKが壁に当たり、至近距離からシュートを打たれる場面があったが、ここは権田のセーブで何とかしのぎ、1−2のスコアで前半は終了する。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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