鹿島、5連敗を乗り越えた王者の処世術=3連覇を可能にした真の強さ

田中滋

「なぜ、5連敗もしたのか?」

チームワースト記録の5連敗を喫した鹿島だが、苦難を乗り越え3連覇を達成した 【写真は共同】

 2005年から続く最終節までもつれたJ1優勝争いを制した鹿島アントラーズが史上初の3連覇を達成した。
 最終盤の第33節に05年チャンピオンであるガンバ大阪、第34節に06年チャンピオンの浦和レッズから勝利しての偉業達成は、単に勝ち点を一番多く獲得したチームというだけでなく、誰もが納得する形でのタイトル獲得と言えるだろう。勢いで獲得した07年や安定感のあった08年とはまた違い、3連覇の重みをあらためて強く感じさせる優勝だった。

 連覇したチームの定めとはいえ、今季の鹿島に対するマークはとても厳しいものだった。前半戦こそ、昨季からほとんどメンバー変更がない強みと、けがで戦列を離れていた小笠原満男が序盤に復帰したことで快調に飛ばしたものの、夏場から後半戦に入ると急激に失速。どの対戦チームも試合に挑むモチベーションは高く、さらにサイドのスペースで起点を作ろうとする鹿島に対し、サイドバックの攻め上がりを抑えてスペースを与えず、最終ラインに4人の選手を並べる対策をとってきた。その結果、夏場には運動量が落ちてしまう弱点も相まって徐々にペースダウン。しかし、勝ち点獲得のペースは下げ止まることなく8月29日の第24節・大宮戦(アウエー)を1−3で惨敗を喫すると、ここから5連敗。一気に首位から滑り落ちてしまった。

「なぜ、5連敗もしたのですか?」

 シーズンが終了した今、鹿島の取材を重ねてきたこともあって、この質問を受けることが多い。「なぜ3連覇できたのですか?」「なぜ鹿島は強いのですか?」という勝った要因よりも、負けた要因を聞かれることが多いのは、この3連覇で13個目のタイトルを獲得した鹿島ならではなのかもしれない。だが、鹿島が5連敗したのは延長Vゴールが廃止されてからチームワーストとなる記録だ。確かに異常事態だったと言えるだろうし、多くの人が興味を持つのも分かる。
 あのとき鹿島では何が起きていたのだろうか。

走ることで中盤は“いびつな構造”に

「大学のころだったら、僕もみんなを集めて『こうやってディフェンスしよう』と話していたと思う。でも、鹿島でそれをやってしまうとみんなの長所を打ち消すことになる。鹿島はいい意味で1人1人の個性が強いチーム。その特長を出そうとするのが鹿島のやり方なんだと入団してしばらくして分かりました」
 勝てなかった時期、お互いの長所を生かすサッカーができていなかったのだと岩政大樹は言う。小笠原も青木剛も、ボランチとしては同タイプの守備をする選手で、ボールを奪われたら、まずそこに寄せる早さを特長としている。全体の運動量が高かった前半なら、彼らがボールに寄せていっても空いたスペースを別の選手が埋めることができていたのだが、疲労のたまった後半戦ではそれも難しかった。

 とはいえ、ボールへ寄せるプレーが彼らの最大の特長であるならば、それを抑制してしてしまうのではなく、助長することで勝つのが鹿島のやり方だった。だから、岩政は「センターバックの前に残ってくれ」と言うのではなく、「走れ」と味方を叱咤激励していたのである。

 だが、皮肉なことに、走れる青木が前線に飛び出して攻撃をサポートしようとすると中盤の底でパスを受けるのは小笠原一人になってしまう。そのため、相手チームは小笠原に狙いを定めてプレスをかけるようになっていた。これを見ていた本山雅志や野沢拓也がポジションを下げて小笠原のサポートに走ろうとなる。すると攻撃的なセンスを持った彼らがゴールから遠ざかり、攻撃の点で見劣りする青木がゴール前に顔を出すという“いびつな構造”ができあがっていたのである。

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著者プロフィール

1975年5月14日、東京生まれ。上智大学文学部哲学科を卒業。現在、『J'sGOAL』、『EL GOLAZO』で鹿島アントラーズ担当記者として取材活動を行う。著書に『世界一に迫った日』など。

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