甲子園でプレーできる奇跡〜日大三高・山崎福也〜=タジケンの甲子園リポート2009

田尻賢誉

高校入学前の悪夢

 信じられなかった。あの甲子園のグラウンドに自分がいる。痛烈なサードライナーを打ったあとのどよめき。一塁後方へのフライを好捕したときの拍手。ワンプレーごとに起きる4万1千人の歓声が心地よかった。打撃は3打数0安打。決して納得いく内容ではない。だが、そんなことは大きな問題ではない。甲子園でプレーすること自体が奇跡なのだから。そう、あのときを思えば――。

 埼玉・向陽中時代、所沢中央シニアに所属していた山崎福也は、日大三高への進学を決めていた。兄・福之は聖望学園高でプレーしていたが、「ガンガン打つイメージで強い」という印象があった日大三高にあこがれていたからだ。2006年夏の西東京大会決勝、斎藤佑樹のいた早稲田実高との試合のビデオは何度も見た。
 ところが、入学に期待を膨らませていた山崎を悪夢が襲う。高校入学前に義務付けられている健康診断を受け、しばらくたったときのこと。母・路子とともに病院に呼ばれた。医者から見せられたのは自分の脳の写真。「普通の人にはないものがあります」と言われ、告げられたのは、まさかの病名だった。
 脳腫瘍(しゅよう)――。
 日常生活から、変わったことは一切なかった。野球もいつもどおりプレーしていた。自覚症状はまったくない。それだけにショックだった。小学校3年生の3月には、祖父が脳腫瘍で亡くなっている。
「自分も死んじゃうのかな……」
 目の前が真っ暗になった。みんなのいる前では明るくふるまっていても、一人になるとどうしても病気のことを考えてしまう。
「人を殺したり、悪いことをしている人はいっぱいいる。それなのに、何で自分が病気にならなきゃいけないんだ」
 そう思ったことも、一度や二度ではない。

もう一度野球をやるための手術

 治すには手術をするしかない。多くの病院をあたった。そして、めぐり合ったのが北大の沢村豊先生。その世界では日本一ともいわれる名医だった。
 中学の卒業式を終えると、すぐに入院。3月21日に手術を受けた。手術予定は8時間。「成功するかは分かりません」といわれた大手術だったが、覚悟を決めて臨んだ。
「手術が怖いというのはありましたけど、もう一度野球がやりたかった。そのためには、手術するしかないので」
 予定より早い6時間で手術は終了。意識が朦朧(もうろう)としているなか、沢村先生にほっぺたをたたかれながら言われたこの言葉が今でも耳に残っている。
「もう一度、野球ができるよ」
 大手術のため、手術当日、翌日は身体がつらかった。だが、ちょうどそのとき、聖望学園高でセンバツ出場を果たした兄・福之の入場行進をテレビで見た。身体が勝手に動く。手術後、寝たきりだった山崎が、初めて立ち上がった瞬間だった。退院後は、決勝に進出した聖望学園高を応援に甲子園に行った。
「お客さんが多かったのが印象的でした。自分もここに来たいと思いました」

野球ができることが一番の幸せ

 予定どおり日大三高に入学。不安を抱えながらのスタートだったが、「後遺症などはまったくない。完ぺきです」と体調は万全。軽いジョギングから始め、5月の終わりには通常のメニューがこなせるようになった。プレーできるようになった直後、Bチームの桜美林高との練習試合ではセンターへ会心の本塁打。左打席からの鋭い打球は強打の日大三高にあっても屈指で、2年生になるとレギュラーをつかんだ。
「普通に生きていられて、野球ができることが一番の幸せです。毎日が楽しい。練習で苦しくても、それは健康だからそう思えるので」
 今では、つらい顔も見せず、笑顔で病気のことを振り返ることができる。そして、この言葉に力を込めた。
「三高で野球ができているのは、親や沢村先生はもちろん(小倉全由)監督さん、(コーチの)三木(有造)さんのおかげです」
 山崎は病名を告げられた時点で日大三高入学を半分以上あきらめていた。野球ができるどころか、日常生活すらままならなくなる可能性がある選手を受け入れてくれるはずがないと思ったからだ。だからといって、病気のことを黙っているわけにはいかない。すべてを話すために小倉監督に電話をした。ところが、小倉監督の反応は全く予想していないものだった。
「病気が治るまで待ってるから。手術、頑張ってこいよ」
 受話器を持つ手が震えた。自然と涙が溢れた。入院前には、小倉監督から便せん何枚にもなる長文の手紙ももらった。「手術頑張れ」と書かれたその手紙は、今でも宝物だ。

全力プレーを見せることが山崎からのメッセージ

 支えてくれた多くの人への感謝の気持ち。そして、恩返しの気持ち。山崎のひとつひとつのプレーにはたくさんの思いが詰まっている。
「ほかの病気の人はもちろん、同じ病気の人たちに元気でできているのを知らせたい。自分のプレーで元気づけて、この病気は絶対治るんだと信じてもらいたいです」
 思い切り打って、思い切り走る。思い切り投げ、思い切り白球に飛び込む。全力プレーを見せることが、山崎からのメッセージだ。
 福也と書いて“さちや”と読む。「福」と「幸」を合わせた縁起のいい名前だ。
 誰よりも輝き、誰よりも温かい心からの笑顔を見せる山崎。山崎にしかできないその笑顔には、きっと野球の神様も、甲子園の魔物も微笑んでくれるはずだ。
 山崎に幸あれ――。

<了>
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著者プロフィール

スポーツジャーナリスト。1975年12月31日、神戸市生まれ。学習院大卒業後、ラジオ局勤務を経てスポーツジャーナリストに。高校野球の徹底した現場取材に定評がある。『智弁和歌山・高嶋仁のセオリー』、『高校野球監督の名言』シリーズ(ベースボール・マガジン社刊)ほか著書多数。講演活動も行っている。「甲子園に近づくメルマガ」を好評配信中。

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