米国陸連の長距離強化プロジェクトとは?

及川彩子

初マラソン3位の持つ意味

 ラドクリフと全く勝負ができなかった点、2時間26分をわずかに切っただけのタイム……。レース前の期待が大きかっただけに、ガウチャーの初マラソンの結果に対する評価は高くない。だが、「北京からわずか2カ月後のニューヨークで、世界のトップを相手に初マラソンを走った」ガウチャーは、ロンドンに向けて大きな課題=武器を得たように感じられる。ガウチャー本人は、ゴール後、想像以上のきつさだったのか、歩くのもやっとという状態で、手応えや今後のことなど考えられないようだったが、世界の走りはしっかりと肌で感じたに違いない。レース前の練習では、20マイル(32キロ)走が最も長い距離走で、そこからの10キロは未知の世界だったと振り返った。準備期間、走行距離、戦ったメンバー、ニューヨークの難関コースで後半ペースアップできた点などなど、総合的に考えれば評価は高くなる。

 ガウチャーは、北京でもメダル獲得を狙ったが、優勝タイムが29分台というハイレベルな戦いについていけず、30分55秒16の10位という結果に終わった。レースを振り返りガウチャーは、「ラスト勝負になると思って、それに対応する練習をしていたのに、ハイペースだったので、戦えなかった。戦略ミス」と唇をかんだ。
 同じ米国代表で、ライバルのシャレーン・フラナガンが米国新となる30分22秒22で銅メダルを取ったのも、悔しさに拍車をかけた。ガウチャーは、「1万m30分ちょうどで走れる自信はある」と話すが、世界大会でアフリカ勢を相手に金メダルを取るのは、かなり難しい。それは、彼女自身、痛いほど分かっている。そのため、ロンドン五輪ではマラソンで、と明言している。

 4年後を見据えたガウチャーが、「記録重視のレース」ではなく、一人ずつ振り落とされていく、いわゆる「勝負重視(チャンピオンシップ)スタイル」のレースを初マラソンで経験した意味は大きい。来年の世界選手権(ベルリン)はトラック種目での代表入りを狙うが、秋にはまたマラソンを走るだろう。再びニューヨークを走る可能性は高いが、きっとレースディレクターのメアリー・ウィッテンバーグは、ガウチャーをロンドンまで鍛えるべく、彼女にふさわしいライバルをレースに参戦させ、サポートするのではないだろうか。スピードを兼ね備えたガウチャーが、ロンドン五輪で日本勢の脅威になることは間違いない。

確実にステップアップしている米国長距離勢

 米国には、日本のような実業団のシステムがなく、長距離選手が大学卒業後に競技を続けるのが難しかったが、米国陸連が数年前から強化に乗り出し、ディスタンスプロジェクト(http://www.usatffoundation.org/distance_project/)を発足。現在は4チームが公認プロジェクトチームとなっている。(※ほかにも長距離チームは存在する)陸連は、賞金レースを主催するほか、好成績を収めた選手や、一定のレベル以上の選手に強化費用を出すなどしてサポートをしている。日本と比べ、大学卒業後に競技を行う選手の数はまだまだ少ないが、全体的なレベルは確実にアップしている。

 ガウチャーは、その強化プロジェクトチームではなく、ナイキが独自に行う長距離育成プログラム『ナイキ・オレゴンプロジェクト』のメンバーとして、マラソン元世界最高記録保持者のアルベルト・サラザール氏の指導を受けている。余談になるが、サラザール氏は1981年にニューヨークシティマラソンで2時間8分13秒の記録を出し、当時の世界最高記録を樹立した米国が誇る名ランナー。(※しかしその後、距離が短かったことが判明し、のちに抹消される)ちなみに現在、オレゴンプロジェクトには6人が参加しており、サルザール氏はガウチャーを含め、4選手を北京五輪に送りこんでいる。

 陸連、各スポンサー、レース主催者の三位一体で行った強化の成果が実り、2004年アテネ五輪では男子マラソンでメブ・ケフレジギが銀メダル、女子マラソンではディーナ・キャスターが銅メダルを取る快挙を成し遂げた。
 北京では、残念ながらマラソンでのメダルはなかったが、女子1万mでフラナガンが銅メダルを獲得したほか、男子5000mで2選手が、女子5000mは3選手がそれぞれ決勝進出(日本選手は通過者なし)を果たした。また、男子1万mではオレゴンプロジェクトで練習する21歳のグレン・ルップが13位に、マラソンでは10位に2選手が入るなど、入賞まであと一歩の健闘を見せた。

 アフリカやそのほかの国からの帰化した選手の活躍もあるが、米国生まれや育ちの若い選手が、これらの選手にいい意味で刺激を受けていることもレベルアップにつながっている。大阪で1500m、5000mで2冠のバナード・ラガトはケニアからの移民だが、若い選手たちは全米選手権などで「ラガトのおかげでタイムが出せた。感謝している」と頻繁に口にする。彼らの視線は、国内ではなく、いかに世界で戦うか、にある。世界レベルの戦いを国内でできる意味は、とても大きい。

 米国陸連、そして長距離関係者の次なる目標は、来年の世界陸上、ロンドン五輪でマラソンを含めた長距離数種目でのメダル獲得にあるだろう。アテネ五輪の男女マラソンのメダル、そして大阪のガウチャーの銅メダル、北京五輪のフラナガンの銅メダルと、米国長距離勢は確実にステップアップしている。

<了>

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著者プロフィール

米国、ニューヨーク在住スポーツライター。五輪スポーツを中心に取材活動を行っている。(Twitter: @AyakoOikawa)

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