石川直宏、プロ10年目の覚醒=ゴール量産を支える“積み上げの美学”
周囲と連動するプレースタイルの変化
自身のプレーが周囲とかみ合って好結果を残しているのが今季の石川だ 【Photo:徳原隆元/アフロ】
一見、変ぼうした現在のプレースタイルを予言した談話のように思えるが、厳密にはかなり違う。4年前に想像していたのは「中盤にゆっくりとい続ける。どっしり構える」(本人談)MF像だった。
しかし今、彼がFC東京で実践しているのは、瞬時にプレーエリアを切り替えるうちの1カ所として「中」を選択するという行為だ。たとえば、右からスタートして左の羽生直剛とポジションチェンジを行い、そのままの流れで中央に進路をとってシュートする、というような──。組織的に連動したムービングフットボールを掲げるのであれば、どっしりと構えてはいられない。
「中盤に顔を出す」「中盤を横切る」「二列目から前に飛び出す」――そういう印象になっているはずだ。
「今は1回、中に入って、そこから離れていく。通過点ですね」
第9節大宮アルディージャ戦(5月2日、3−2)の2点目は、羽生のスルーパスに抜け出し、グラウンダーで決めた。まるで飛び出し型FWのような芸当。あれは周囲と連動したプレーができている証しとなるゴールだった。
城福監督も触れていたが、これまでの石川は外のエリアを基本ポジションとし、ゴールから遠い位置でプレーしていた。いきおい連係が取りづらく、力の限りゴリゴリと突き進むだけになってしまっていた。このままでは、スピードが衰えてきたときに厳しい。そう考えた石川は、瞬間、瞬間で周囲とタイミングを合わせるよう、自分の動きを「計測」しながらプレーするようになった。
「海外サッカーのような」イマジネーション
中盤である石川が前に押し出され、シュートを撃てる背景には、この戦い方も大きく影響している。さらには、FWの平山相太がポストとなってつぶれてくれるお陰で、石川が前を向いてシュートできるという一面もある。
「前の選手が辛抱強くやってくれるんです。相太、(赤嶺)真吾、(近藤)祐介……。相太の仕事には、ホントに助かっています。前に起点ができるおかげで、ぼくらが前に行ける。FWだからゴールに近い位置でプレーしたいはずなのに(ポスト役をこなしてくれる)。守備もやってくれるし。FWは大変だと思います」
石川のゴール量産は、FWが得点をガマンする代わりにMFが点を取るという、役割分担の結果だともいえる。自らの得点数こそ少ないが、平山は平山で、己のストロングポイントをしっかりと表現しているのである。そうした個々の特徴が組み合わさり、ゴールが生まれているのだ。チームメートの協力なくして現在の躍進はなかっただろう。
もうひとつ、スピードを加減して状況を把握する余裕を作った効果で、ゴールのバリエーションが豊富になったのも大きな変化だ。ウインガー時代の石川のシュートは、パターン化されていて読みやすかった。右サイドから中央に切れ込んで左足で打つ。あるいは左サイドのウイングから上がってきたボールにファーで合わせる。
だが現在の石川は、見ている側が予測不可能な驚嘆もののゴールばかりを決める。
「ジェフ戦のゴールが今季1点目でしたよね? あれで何かがつかめた。あそこから何かが変わった気がします」
第6節千葉戦や第9節大宮戦の1点目のような、個人技を生かしたゴール。大宮戦3点目のハーフボレーや、第15節清水戦の右足アウト弾と、まるで変幻自在。石川は「海外サッカーのような」と表現するが、まさにマラドーナやメッシのごときイマジネーションの豊かさが感じられる。
「ここで撃とうというイメージがわいてくるんです」
28歳でのブレークスルーと、その先にあるもの
もっとも、代表、代表と騒ぐ周囲に対し、本人は「代表選考については意識から外している。代表に選ばれなかったからといって、手を抜くこともない。まずはチームのために積み上げていく」と冷静だ。
そう、いまの石川は冷静で、ものすごく安定している。ゲームを掌握しながらプレーしている。飛び道具的なウインガーではなく、ゲームの中心にいるべき選手へと変ぼうしつつある。
「昔は何点かゴールを決めても“まあ、このくらいかな”という感想にとどまっていた。でも、今は違います。10年目にして、ようやく感覚がつかめてきた。欲がどんどん出てくるし、先へ先へと進みたい。カズさん(三浦知良=横浜FC)がずっと現役でいる気持ちが分かるんです」
石川がシュートする瞬間、その動作にためらいはまったく感じられない。足を振り抜けば振り抜いただけ、ゴールに吸い込まれていく予感がする。近年、これだけ得点に対する余裕と自信を漂わせる選手がいただろうか。
かつてのキング・カズがそうであったように、今の石川には毎試合、得点の期待がかかっている。だがそのプレッシャーすら糧として、さらなるゴールを生み出しそうな気配がある。この男、かつて到達し得なかった高みへと、日本サッカーを誘(いざな)うのかもしれない。
<了>