スタンコビッチが語るモリーニョの素顔=インテルの指揮官が見せる“表と裏”

 ジョゼ・モリーニョの本当の素顔を知るものは少ない。彼の時折見せる、挑発的で、ウイットに富んだ言動は人々を引きつけ、ベンチでは無愛想な表情と派手なパフォーマンスで周囲を驚かす。モリーニョは過去に、FCポルトを率いてチャンピオンズリーグを制覇、チェルシーでは数々のタイトルを獲得した。新天地のセリエAでは、就任1年目でインテルをリーグ優勝に導いた。
 インテルに所属するMFデヤン・スタンコビッチは、「モリーニョは今まで出会った監督とは全く別のカテゴリーに属する」と語る。数多くの指揮官の下でプレーしたスタンコビッチの目に映るモリーニョの人物像とは。選手だけが知り得るポルトガル人監督の本性に迫る。

モリーニョの辞書に“妥協”はない

就任1年目でインテルをセリエA優勝に導いたモリーニョ監督 【Photo:アフロ】

 まず、これだけは言いたい。モリーニョは“アンビリーバブル”な人間だ。なにしろ、彼がインテルの監督に就任してからの1年間で、僕らはまるで別人になってしまったんだから。もちろん良い意味でね。確かに(インテル前監督の)マンチーニも素晴らしい監督だった。ただ、モリーニョは僕が今まで出会った監督の中で、全く別のカテゴリーに属する人間なんだ。

 彼の行動のすべて、そしてその1つ1つが、僕らに多大な影響を与えていることは間違いない。例えば、選手のモチベーションの上げ方。普通なら大声を上げて選手を鼓舞するだろう? だが、彼は違う。気がつけば選手は無意識のうちにやる気に満ち溢れているんだ。全く不思議だよ。おそらく、選手とのコミュニケーションの中に秘密が隠されているのだろう。それは、心の中にすうっと入ってくるような言葉だったり、細かな気遣いだったり、具体的にそれが何かを表現するのは難しいけれど、気がつくと僕らはモチベーションの固まりになっている。何よりも驚くのは、彼のそうした配慮が1年を通して片時も途切れないことだ。

 ナポレオンの辞書に“不可能”がないように、モリーニョの辞書にも“妥協”という言葉は見当たらない。良い例え話がある。5月16日、ミランがウディネーゼに負けたことで、僕らのスクデット(セリエA優勝)が決まった。インテルは翌日にシエナ戦を控えていたけど、タイトルを獲得したからその試合の結果はそれほど重要ではなかった。少なくとも選手はそう思っていた。でも、彼だけは違った。試合前のミーティングでおもむろにペンをつかむと、ボードにこう書きなぐったんだ。
「ミラン勝ち点3・インテル勝ち点3=ミラン勝ち点1・インテル勝ち点3=ミラン勝ち点0・インテル勝ち点3=負けられないビッグゲーム」
 この意味が分かるかい? 僕らは優勝を手にしたことで確かに心が浮ついていた。だけど、この言葉によって選手は気づかされた。「王者はどうあるべきか」とね。結局、その試合は3−0で勝利した。王者の風格を見せつけた試合だったね。

アドリアーノは去るべくして去った

 モリーニョの性格を一言で表すのは難しいけれど、これだけは言える。それは選手に敬意を表して接していること。さらに、僕らがチームとして一致団結するのを好むことも。彼の許し難いものの1つに“自分勝手な単独行動”があるんだ。つまり、第一にチームが存在して、その中に選手が存在するってこと。今思えば、それを思い知らされた1年間だったね。
「個人のためにチームは存在しない。チームのために個人は存在する。わたしはどんな選手であっても自分勝手な行動を許さない」
 モリーニョが僕らに口酸っぱく言っていた言葉だね。

(シーズン途中でインテルを去った)アドリアーノの件は、それが顕著に表れた例だった。とはいえ、モリーニョは彼を本当に気にかけていたし、2度、3度は寛容な態度をとっていたことも事実。ただ、アドリアーノはモリーニョが敷いた境界線を越えてしまった。つまり、モリーニョが一番嫌う単独行動をアドリアーノはやめようとしなかったんだ。そして、最終的には「さよなら」ってわけだ。逸脱した行動を許さないモリーニョにとっては当然の決断だったと言えるね。彼はアドリアーノにこう言ったんだ。
「人として、君が助けを必要としているのなら、わたしはいつでもここにいる。ただ、わたしは、サッカー選手としての君を必要としていない」。とても印象的だったから覚えている。

 マンシーニとクアレスマのあきらめも早かった。モリーニョ自身が彼らの獲得を希望していたし、おそらく戦術的にもフィットできるだけの素質を持った選手だと考えた上での決断だったはずだ。でも、シーズンが始まってまもなく気持ちが変わったようだね。僕が4−3−3のトップ下に入ったことで、チームのバランスはすごく良くなった。別に自慢しているわけじゃない。マンシーニはプレー機会が減ったし、クアレスマはほうきで掃くかのようにあきらめが早かった。彼らはモリーニョの要求を満たすには不十分だったのかもしれないね。

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著者プロフィール

1961年2月13日ウィーン生まれ。セルビア国籍。81年からフリーのスポーツジャーナリスト(主にサッカー)として活動を始め、現在は主にヨーロッパの新聞や雑誌などで活躍中。『WORLD SOCCER』(イングランド)、『SID-Sport-Informations-Dienst』(ドイツ)、日本の『WORLD SOCCER DIGEST』など活躍の場は多岐にわたる

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