中村俊輔がセルティックに残した足跡=背番号25が輝いた4年間の日々

豊福晋

すぐにファンの心をつかんだ“ナカムラ”

2005年のセルティック加入以来、常に主力としてチームをけん引した中村俊輔 【Getty Images】

 ヒュー・マクドナルドは4年前の夏のことを忘れていない。

 グラスゴーの高級紙『ザ・ヘラルド』のチーフスポーツライター。レンフィールド通りにある編集部に通いもう20年が経った。週末には決まってスコットランド中を駆け回り、これまでにブライアン・ラウドルップやポール・ガスコイン、ヘンリク・ラーションら国外からきた有名選手の活躍する姿を間近で見続けてきた。

「セルティックに日本人選手がやってくると聞いて、最初はどんなプレーをするんだろうと思ったね。ナカムラなんて選手、ここグラスゴーでは誰も知らなかったんだ。セリエAのレッジーナでプレーしていたといっても、そんな小さなクラブのことは誰も知らない。でもあの試合から4年が経って、ナカはここで誰よりも愛されている存在になった」

 中村俊輔がセルティックに加入した当初、ファンはどんなプレーをするのかという好奇心と、少しだけ懐疑的な目をもって新たな背番号25の姿を追った。25という数字は中村が来る以前、ルボ・モラフチクという選手が着けていた番号だった。スロバキア人のモラフチクは技術が高く、彼がボールに触るたびスタンドはわいた。新たな25番はモラフチクのようなプレーができるのだろうか――。ファンはそんな思いを持っていた。

 デビュー戦はセルティックパークだった。中村のお披露目となったのはスコットランド・プレミアリーグのダンディー・ユナイテッド戦。4−3−1−2のトップ下のポジションに入った中村は、多彩なパスとトリッキーな妙技を見せ、自由自在にプレーした。

「自分がどんな選手なのかを味方に見せるために自分のプレーをした」

 中村は試合後にこう語っている。新たな25番はすぐにファンの心をつかんだ。

「ナカムラは完全にモラフチクを超えた。彼はこの4年間、クラブ史に残るようなプレーをわれわれに見せてくれた。それも何度もね」

ストラカン監督から絶大な信頼を寄せられた4シーズン

 そう感じているのはヒューだけではない。4シーズンにわたり、中村はセルティックで一番の人気選手だった。2005年のストラカン監督就任から現在までプレーしている選手は、主将ステフェン・マクマナスとアーター・ボルツ、エイデン・マクギーディ、そして中村の4人だけだ。その中でも、中村に対してファンは特別な感情を抱いている。スタジアムで「KING OF JAPAN」という文字が入ったユニホームを着たファンを見かけたこともある。日の丸のはち巻を頭に巻いたファンは、自慢げにそれを見せてくれたものだ。

 監督の信頼も高かった。ストラカンは4年間、何か特別なことがない限り中村を先発で起用した。「ナカムラはフィジカルが弱く、ファイトできないのではないか」との新聞記事には、まるで自分が批判されたかのように激しく反論した。

「タックルができない? それでもナカには技術がある」という彼の言葉がある。自らも小柄な選手だったからだろうか。ナカムラに昔の自分の姿を重ね合わせていたのかもしれない。

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著者プロフィール

ライター、翻訳家。1979年福岡県生まれ。2001年のミラノ留学を経てライターとしてのキャリアをスタート。イタリア、スコットランド、スペインと移り住み現在はバルセロナ在住。5カ国語を駆使しサッカーとその周辺を取材し、『スポーツグラフィック・ナンバー』(文藝春秋)など多数の媒体に執筆、翻訳。近著『欧州 旅するフットボール』(双葉社)がサッカー本大賞2020を受賞。

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