世界で輝く「○○ッチ」たち=旧ユーゴスラビアサッカーが生んだ才能

旧ユーゴ出身の選手が世界で輝く理由

セルビア人の父親を持つボージャンは、昨年8月のW杯予選でスペイン代表デビューを果たした 【Getty Images】

 生まれ持った才能が豊かであればあるほど、選手をより大きな成功へと導くことに異論はないが、才能だけに帰属すればよいという問題でもない。旧ユーゴ出身の選手が世界で輝くのは、その地域ならではの生活環境、国民性など、“才能以外の何か”が起因しているからだ。

 その1つ目の理由として、数ある球技の中で、サッカーがこの地域において最もポピュラーなスポーツであることが挙げられる。サッカーに対する愛情が親子のそれに勝るとは言わないが、生活の一部であることは間違いない。サッカー観戦は決して“娯楽”とは言い切れないし、サッカーくじで得た収入は、貴重な生活費に充てられる。さらに、サッカー人気は、競技人口に比例することで、有能な選手が増える一因となるのだ。

 第二は、優秀な監督を育て上げ、指導者大国としての地位を築き上げたことである(オシム前日本代表監督をご存知の皆さんならご納得いただけるはずだ)。サッカー発展途上国の代表チーム、またはクラブの監督名に目をやると、名前が「○○ッチ」だと気づき、妙な違和感を覚えた経験はあるのではないか。あまり知られていないことだが、レアル・マドリーやバルセロナ、バイエルンといった名門クラブで指揮を執った旧ユーゴ出身者は少なくない。これは、今日に至るまで指導者教育に重点を置いた努力のたまものである。

 第三の理由は、旧ユーゴが歴史上、一度も金持ちの国にならなかったことである。欧州のほかの地域と比べると旧ユーゴの経済水準は昔も今も劣っており、おのずと選手へ支払われる賃金も下がる。つまり、選手は国内リーグで活躍することで、夢の外国クラブへ移籍し、母国と比較できないほどの年俸を手に入れる。その点は、ブラジルやアルゼンチンといった南米諸国の事情に似ている。

 最後に、旧ユーゴ出身の選手たちがいかなる状況下でも、瞬く間に環境になじむことができる、その順応性の高さが挙げられる。良く言えば“人懐っこい”、悪く言えば“うっとおしい”と評される国民性は、選手間の“溝”を取っ払う、ある意味最高の才能である。さらに、彼らの言語習得能力が手伝って、外国生活は全くの不便を感じない。

 とはいえ、イブラヒモビッチ(インテル)やセルビア代表のクズマノビッチ(フィオレンティーナ)らは同じ「○○ッチ」でも勝手が違う。旧ユーゴからの移民の子供である2人は、前者はスウェーデン、後者はスイス生まれで境遇が異なるため、前述のケースには当てはまらない。だが、同郷の血を継ぐことに変わりはなく、それは体格やプレーにはっきりと表れている。

ニューレジェンド、ボージャン・クルキッチ

 世界で活躍する「○○ッチ」だが、ペレ、マラドーナ、ベッケンバウアー、クライフ、プラティニのようなスーパースターに匹敵するほどの人材を生み出していないのも事実である。

 だが、偉大なレジェンドたちに仲間入りする可能性を秘めた若者がようやく姿を現した。彼の名前は、ボージャン・クルキッチ。バルセロナに所属する未来のスターである。彼は旧ユーゴ出身ではないが、セルビア人の父、スペイン人(正確に言えばカタルーニャ人)の母を持つ18歳の青年で、世間ではボージャンの名で広く知られている(が、セルビア語の発音に従えばボヤンである)。

 バルセロナのカンテラ(下部組織)育ちのボージャンは、1999〜2006年の7年間で約900ゴールを挙げる偉業を成し遂げ(単純計算すると毎試合ハットトリックを達成したことになる)、スペインはもちろん、世界のサッカーファンからも一躍注目される存在となった。
 06年にルクセンブルクで行われたU−17欧州選手権では、弱冠15歳ながらスペイン代表の一員としてプレー。途中出場が多い中で、5得点をたたき出し、スペインの3位に貢献した。翌年のU−17ワールドカップ(W杯)では主力選手として5得点。スペインを準優勝に導いたのである。

 ボージャンへの注目と期待が年々高まる中、彼は07−08シーズンに16歳の若さでバルセロナのトップチームに合流し、直後の練習試合でいきなり初ゴールを記録した。リーガ・エスパニョーラ第3節のオサスナ戦では、17歳と19日の若さでリーグ戦デビュー。周囲からの期待にゴールという結果で応えたボージャンは、デビューシーズンで12得点、今シーズンは出場機会こそ減ったが、それでも9得点をマークし(※4月1日現在)、メッシ、エトー、アンリといった世界最高レベルの選手たちを脅かす存在にまで成長した。

 彼の父親の故郷であるセルビアでは、ボージャンの成長と活躍に比例するように、同選手のセルビア代表入りへの気運も高まっていった。A代表未経験のボージャンに、セルビアサッカー協会のズベズディン・テルジッチ会長(当時)は一国の未来を懸けようと必死になったが、一方でボージャンが生まれてから一度もセルビアに足を踏み入れていないことや、セルビア語を話せないことも事実として受け止めていた。だが、テルジッチは母国の期待を一身に背負って、ボージャンを“勧誘”し続けた。

 結局、テルジッチのラブコールは08年の夏に途絶えることとなった。同年9月、ボージャンは2010年W杯・欧州予選のアルメニア戦でA代表デビュー。今後のサッカー人生をクラブとスペイン代表のために歩むことを決意したのである。

 ボージャンと、イブラヒモビッチは生まれ育った国のユニホームに袖を通した。一方で、クズマノビッチのように自分の起源である国を選んだ選手もいる。
 歩む道、国籍は違えど、世界の至る所で「○○ッチ」はプレーしている。彼らの輝きは今後も全世界で見られるはず。輝きは決して失われないのだ。

<了>

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著者プロフィール

1961年2月13日ウィーン生まれ。セルビア国籍。81年からフリーのスポーツジャーナリスト(主にサッカー)として活動を始め、現在は主にヨーロッパの新聞や雑誌などで活躍中。『WORLD SOCCER』(イングランド)、『SID-Sport-Informations-Dienst』(ドイツ)、日本の『WORLD SOCCER DIGEST』など活躍の場は多岐にわたる

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