さらば情熱のジェフ・ケント

山脇明子
 米大リーグ、ドジャースのジェフ・ケント内野手が引退を発表した。
1992年にブルージェイズで米大リーグデビュー以降、メッツ、インディアンス、ジャイアンツ、アストロズ、ドジャースで計17年プレー。ジャイアンツ時代の2000年にナショナルリーグの最優秀選手(MVP)に輝き、通算377本塁打を放ったうち、二塁手としては歴代最多の351本塁打をマークした。将来の野球殿堂入り候補と言われる選手である。
 だが、決してフレンドリーではないことで有名で、ジャイアンツ時代にはバリー・ボンズとぶつかり、05年にドジャースに移籍した後には、ミルトン・ブラッドリー(現カブス)と言い争いになった。さらに07シーズンには、ジェイムズ・ロニーやマット・ケンプらともすれ違いのあった選手だ。メディアも彼から批判されることがしばしばあった。それはアメリカのメディアだけではない。日本人選手の周りから離れない傾向にある日本人メディアの姿勢も気に入らなかったらしく、ケントから嫌みを言われた者も何人かいる。
 ところが、ケントは引退会見でこう言った。
「遠征から帰って子どもたちの身長が伸びていると気づく生活にも疲れたし、スーツケースで球場を行ったり来たりするのも、もうくたびれた。でも野球を今でも愛している気持ちに変わりはない。野球が恋しくて仕方がない。そして君たちと、もう会えないことも寂しく思う」
 「君たち」とは、会見に集まったメディアを指して言った言葉だ。そのケントの会見を米国のスポーツ専門チャンネル『ESPN』は「タフな男がソフトな姿で去った」と報じた。もちろん、感情的になり、涙を浮かべていたことも、そう思わせた原因だろう。
 だが、ケントは確かにシーズン中に見る時とは違う優しい目をしていた。一度、ドジャー・スタジアムのエレベーターでケントと一緒になったことがある。その時、一番小さな息子の頭をなでながら話し掛けるケントの表情を見て、ハッとしたのを覚えている。なぜなら、それまで見たことのない優しい目をしていたからだった。
 ケントは、「野球は自分自身よりも大切なものだった」と言った。だから、メディアに何と言われようと、チームメートからどう感じられようと気にしていなかった。
「オレがチームメートやメディアとの間で起こしたいざこざには理由があった」と語ったケント。本人は、はっきりとは言わなかったが、それは勝つためだったということを遠まわしに感じさせた。それほど情熱を燃やした17年間の現役生活だった。
 これまでは、ドジャースのロッカールームでケントの姿を見ると、嫌な気分になったこともあった。
 だが、今はそんなケントがいなくなることを少し寂しいとさえ思う。

<了>
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著者プロフィール

ロサンゼルス在住。同志社女子大学在学中、同志社大学野球部マネージャー、関西学生野球連盟委員を務める。卒業後フリーアナウンサーとしてABCラジオの「甲子園ハイライト」キャスター、テレビ大阪でサッカー天皇杯のレポーター、奈良ケーブルテレビでバスケットの中体連と高体連の実況などを勤め、1995年に渡米。現在は通信社の通信員としてMLB、NBAを中心に取材をしている。ロサンゼルスで日本語講師、マナー講師、アナウンサー養成講師も務めている。

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