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【大谷翔平「50-50」の舞台裏・前編】運まで味方した50個目の盗塁に、マイアミを覆った50号の空気

丹羽政善

9月19日のマーリンズ戦、7回に50号本塁打を放った大谷翔平 【Photo by Megan Briggs/Getty Images】

 9月19日(現地時間、以下同)、ドジャースの大谷翔平が、6打数6安打、3本塁打、2盗塁、10打点という派手な活躍で「50-50」を達成した。

 10打点はドジャース記録で、自己最多。3本塁打も自己最多(1試合2本塁打は18回)と、記録ずくめ。50-50はもちろん、メジャーで唯一無二のマイルストーンである。

 今回、前編、後編に分け、帯同記をまとめていきたいが、まずは、50-50を達成する直前の数日間、どんなことがあったのか。その裏側から紹介していきたい。

MLB史上初となる「50-50」の達成に、球場のファンは歓喜した 【Photo by Megan Briggs/Getty Images】

 おそらく、大谷は驚いたのではないか。少なくともクレイトン・マッカラー一塁コーチは、唖然とした。

「あんなの見たことがなかったから」

 9月18日のマーリンズ戦。初回に今季49個目の盗塁を決めたが、送球がそれなければアウトではなかったか。

 マウンドのライアン・ウェザーズは、大きく足を上げるタイプ。牽制のときも同様。よって、逆に引っかかる走者も少なくなく、2021年〜23年の3シーズンで、9回も牽制死を記録している。

 ところが、あのときに限ってクイックで投げた。ウェザーズに確認すると、苦笑いしながら「クイックで投げたのは、キャリアで初めて」と明かした。「翔平が狙ってくることは分かっていたからね」。

 その言葉をマッカラー一塁コーチに伝えると、「そうだよな! 今まで一度も見たことがなかった。しかも、あの1回だけだった」と話し、続けた。

「正直、マズいと思った」

 それでもアウトに出来なかったのは、捕手がうまくボールを握れなかったからだが、その点では大谷に運があった。

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フリーマンと記者の野球談議

 その日から遡ること2日。ブレーブス戦の試合前にLAタイムズ紙のジャック・ハリス記者、MLB.COMのホワン・トリビオ記者とダグアウト脇で雑談していると、守備練習を終えて引き上げてきたフレディ・フリーマン(ドジャース)が、不意に声をかけてきた。

「昨日の敬遠、どう思った?」

 “昨日の敬遠”とは、9月15日のブレーブス戦の九回、2死三塁で大谷が歩かされた場面である。

 得点は2対2。マウンドには7月27日から8月23日にかけて39人の打者をパーフェクトに抑えるなど、防御率1.16と相手を圧倒していたライセル・イグレシアス。決して左打者と相性が悪いわけでもなく、カウントが悪くなってから歩かせる手もあったが、ムーキー・ベッツとの勝負を選択した。

 ベッツは「自分が監督でもそうする」と話したが、ブレーブスにとっては裏目。ベッツが勝ち越しタイムリーを放ち、その後一挙6点を奪って、ドジャースは試合を決めた。

 フリーマンは、あの場面をこう解説している。

「あそこで左に代えるなら、アーロン・バマーだと思う。大谷対バマーか、ムーキー対ライセルか。その選択だった」

 ただそのとき、ブレーブスは「バマーが大谷に四球を出してしまったときのことを考えたのだろう」とフリーマンは推測した。「そうするとムーキー対バマーになって、これは完全にムーキーが有利。であれば、翔平を歩かせるのが、最善策ということになる」。

 投手は最低3人の打者と対戦する必要がある。ワンポイントが可能な時代なら、ベッツのところでさらに右投手を投入できたが、ルール変更はこうして試合に影響を及ぼしている。

「その後、こっちは一気に差を広げたけど、あの選択だったよね、勝負の綾は」

 ドジャースは翌日も大勝。前日の流れを活かしきった。

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著者プロフィール

1967年、愛知県生まれ。立教大学経済学部卒業。出版社に勤務の後、95年秋に渡米。インディアナ州立大学スポーツマネージメント学部卒業。シアトルに居を構え、MLB、NBAなど現地のスポーツを精力的に取材し、コラムや記事の配信を行う。3月24日、日本経済新聞出版社より、「イチロー・フィールド」(野球を超えた人生哲学)を上梓する。

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