末續、“陸上競技者”としての進化
意識改革の成果
年末は、千葉市・東大検見川グラウンドで行われた恒例の東海大短距離合宿に参加。アジア大会後の休養から、本格的にトレーニングを開始した末續 【写真/陸上競技マガジン】
末續慎吾は明るく笑った。
アジア大会から帰国後1週間ほどの休養を取った彼は、12月23日の東海大恒例の千葉県・検見川合宿から練習を再開した。26日までの合宿を終わると、その後は1月7〜15日は東海大で行われた日本陸上連盟のリレー合宿に参加。個人だけでなく、大阪でメダルを狙うチーム・ジャパンのスプリントチームとしても、本格的に始動開始という状況だ。
末續は昨季、12月という遅い時期にあるアジア大会を逆に利用することを考えていた。通常のシーズンなら休養も十分取るため、冬季練習に入った時のスピードレベルは低いものになる。だが昨季はアジア大会にもある程度合わせなければいけなかった。そこで20秒6〜7レベルくらいまでに仕上げておけば、そのスピードレベルのままで冬季練習に入れると。
「一回落としてたら間に合わないんですよ。そんなんで埋まるような差じゃないですね。何か、短距離の醍醐味というか、けっこう大変ですよ。世界のトップと比べたら、インターハイチャンピオンくらいにはなったかな、という感じですけどね。でも、やり方によっては勝っちゃうよって(笑)」
昨年19秒台の選手と走って感じたのは、技術や体力だけではない、基本的な身体能力の差だった。だから自分のコアな部分、本当の“末續慎吾の能力”を高めていかないと次にはいけないと感じたのだ。
「どうしたら勝てるんだろう、どうしたら一番になれるんだろうっていうところまで考えられるようになった。だからこそ世界と対等になれたと思うんです」
アジア大会で感じ得た、本当の収穫
そんな末續にとって、普通に考えれば邪魔な時期にあるアジア大会も、避けて通ってはいけないものでもあった。指導を受ける高野進は、すべてを正攻法でやってきたからこそ、ああいうスケールの人間になったのではないかと思ったのだ。
「シドニー五輪の時に伊東浩司さんを見てて、なんでこんなに辛いことをやってるんだろうと思ったんです。全然練習もできていないのに、なんで100mと200m、4×100mリレーまで出るんだろうかって。でもアジアを代表してワールドカップにも出た今年、アジア大会で走って優勝できた時『アッ』と思ったんです。今思えば伊東さんのああいう姿勢や、苅部俊二さん、山崎一彦さんたちの取り組みが、今の短距離の強さを支えてるんだなって。
もし僕らの世代が引退した時に、『次は誰がいるんだ』ってことになってほしくないじゃないですか。だから僕が伊東さんたちの背中を見て走っていたように、僕も今は一緒に走る若い選手たちに、きつい状態でもキチンと勝って同じように背中を見せておかなければいけない。そういう責任感は澤野大地や池田久美子たちも感じてると思うんです」
心の底ではきついと思っていても、やらなければいけない時がある。そういうものが本当の“陸上競技力”につながっていくのではないか。末續はアジア大会でそれを学んだのだ。
98年12月にバンコクで行われたアジア大会100mで10秒00をマークし、100mと200m、4×100mリレーの3冠に輝いた伊東浩司は、その後故障に苦しんだ。だが彼の場合99年3月に前橋で世界室内選手権が開催され、そこにも出場しなければならなかった。
「伊東さんのことを考えれば、僕の方がずっと楽ですよね。今、ふたを開けてみればそんなに時間がないわけじゃないですから。練習にしてもウエイトにしても、もう『コレ!』っていうものもありますから、これからの3カ月でどれだけできるかですね。冬季練習は4月まで引っ張って、5月の大阪国際GPもその流れで出ようと思いますし……。本当に仕上げていくのは6月末の日本選手権だと思えば時間は十分ですよ」