カメレオンのように――創部2年目、明成の挑戦=〜ウインターカップ2006 大会5日目〜
ベールを脱いだ注目の1、2年生たち
初の全国大会、初の東京体育館、初のメーンコート――「ライトがすごくまぶしかった……」と選手たちが印象を語ったその憧れの場は、緊張からか自分たちのバスケットがまったくできないまま61−95で完敗。“メーンコート・デビュー”はほろ苦いものとなった。
「悔しいです。相手を意識し過ぎたのか、シュートが打ち切れなかったし、走り切れなかったし、守り切れなかった。もっともっと練習するしかないです」(伊藤駿主将)
メーンコートに立てた感激と王者の前に受けた屈辱。たくさんの経験を得た1、2年生たちは、来年もまた必ずこのコートに立つことを誓って、東京体育館をあとにした。
この新鋭たちを率いているのは、前任校の仙台(宮城)を2度の全国制覇に導いた佐藤久夫氏(57歳)。環境に恵まれない公立校を全国上位の常連校へと鍛え上げた指導力で、1996年から2002年までは男子ジュニア代表(U−18)、01年にはヤングメン代表(U−21)の指揮官を務めた名将だ。そんな佐藤コーチが02年3月に教職の道を退職して以来、5年ぶりとなる高校バスケの舞台に戻ってきたのだから、いやが上にも期待は高まる。
北陸はこの明成を相手に最後まで横綱相撲を取り続けた。北陸の久井コーチは、佐藤コーチの下でジュニア代表のスタッフを務めた経験がある。誰よりもその手腕を知っているからこそ、いくら点差が開こうとも「まだまだ!」と檄(げき)を飛ばし続けていたのだろう。明成の出現に「高校界はますます面白くなる」――そんな声があちこちから聞こえてきた。
名将も苦心した全国大会への道のり
名指導者と有望選手。1年目から全国大会に出てくるのでは、という期待もあったが、その行く手を阻んだのは自身が名門に育て上げた前任校の仙台であり、意地をぶつけてきた県内の3年生主体のチーム。入学したばかりの1年生だけで全国大会に出られるほど、高校バスケは甘くはなかった。
仙台時代は“心技体”をモットーに、徹底した追い込み指導で選手を鍛え上げてきた佐藤コーチだったが、中学を卒業したばかりの子どもにはその重圧に耐えうるメンタルが十分備わっていなかった。ましてや、厳しい練習を引っ張ってくれる先輩もいなければ、全国大会が素晴らしい舞台だと継承してくれる卒業生もいない。これまで百戦錬磨の指導力で高校生を育成してきた佐藤コーチをしても「試行錯誤の指導の末にたどりついた」全国大会だったと明かしている。
だが、1、2年生チームだからこそ、「自分たちで歴史を切り開いていく」成長だってある。このウインターカップでは試合を追うごとに内容が良くなり、特に3回戦の金沢戦では完ぺきにゲームを支配し、キラリと光る可能性をのぞかせた。王者・北陸の前にはラスト10分間しか自分たちの力が出せなかったが、それでも「東京体育館のメーンコートで戦ったことが何よりの経験」と佐藤コーチは、初の全国大会でベスト8を達成した選手たちの努力を大きく評価した。
目指すは“カメレオン・バスケット”
2000年に24秒ルールが施行されてから、高校界は攻防の切り返しが速いトランジション・スタイルが主流となり、ここ数年で得点力が大幅にアップ。だが、得点を取る過程のシュートセレクションについては見過ごされている傾向も見受けられる。そんな高校界に、いや、日本バスケットボール界に一石を投じようとしているのが、このカメレオン・バスケットなのだ。佐藤コーチは言う。
「身体能力の劣る日本が世界と対抗するためには、速さの中でどんなバスケットにも対応もできる力を身につけなくてはならない。これは自分がジュニアやヤングメンで世界と戦って得た答え。このバスケットを、指導者人生をかけて教えていきたい」
このことは、佐藤久夫が5年ぶりに高校の現場に戻ってきた最大の理由でもあった。
胸に大きく「M」と刻まれたエンジ色のユニフォーム。メーンコートを照らすライトに負けないチームプレーを発揮できたその時こそ、エンジ色から何色にも輝きを放つ“カメレオン軍団”になれるはずだ。
<了>
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