勝敗の予測不能な「熱闘・東京体育館」=ウインターカップ2007 第2日
残り0秒のフリースロー
その九州女子(福岡)が、富士学苑(山梨)の粘りを振り払えず72−72の同点のまま、最後のワンプレーに賭けていた。九州女子の池田憲二コーチは残り1秒のタイムアウトをこう振り返る。
「相手は、うちのセンター・岩橋美帆で勝負すると思っていたはず。だから2年生にパスを合わせるプレーを選択したのです」
土壇場での大役を任されたその2年生、山下亮子は「やったことのあるチームプレーでした。たとえシュートを打てなくても、相手のファウルを誘いたかった」という。彼女の思惑通りだった。岩橋がスクリーン(ついたて)となり、山下をマークするディフェンスが走るコースをつぶす。そして、シュートチェックに一瞬遅れたディフェンスが山下にファウル。同時にタイムアップのブザーが鳴った。
電光掲示に「0」を点滅させたまま放たれた、山下のフリースロー1投目は失敗。しかし2投目が決まり、九州女子が劇的な勝利を飾った。「フリースローの時には足がグラグラ震えていたんです」と恥ずかしそうに明かす山下。その声もかすかにまだ震えが残っていた。
ダークホース・岐阜女、敗れる
大金星を挙げたのは、1回戦で112点を挙げ勢いを付けていた札幌山の手(北海道)である。渡邊勝也コーチは喜ぶよりもまず、岐阜女子が置かれていた状況を気遣った。
「私たちにとっては2試合目ですが、シードの岐阜女子にとってはこの試合が緒戦。シードって結構やり辛いものです」
さらにこうも続けた。
「終了間際、電光掲示に誤りがあって、岐阜女子にとってはアンラッキーでした」
本当は3点差あるはずの得点掲示が2点差の表示になっていた。だから、岐阜女子は3ポイントシュートを狙うべきラストチャンスを逃した、というのが札幌山の手・渡邊コーチの見方だ。
それにしても、岐阜女子のエースとのマッチアップに苦しんでいた三浦春日主将が、勝負どころで決めた3ポイントシュートとドライブインは圧巻だった。
「ミスを繰り返していたので、勝負どころで躊躇(ちゅうちょ)しそうになったけど、今までやってきたことを信じるしかなかった」という。彼女の手にマジックで書き込まれている「やるしかねぇ!!」の念力が通じたか。
名門出身のコーチがそろって初勝利
「完全にウインターカップの雰囲気にのまれました。走れないし、シュートは入らない。私も選手時代は緊張なんてまったくしなかったのに、今回ばかりは心臓バクバクでしたから(苦笑)」
実は県立取手松陽の佐藤コーチは、1993年に土浦日本大が準優勝を飾った時のポイントガード。しかも、土浦日本大を強豪に仕立て上げた名将・佐藤豊氏を父に持つ。県予選準決勝まで土浦日本大を指揮していた父は、親子対決を避けるように県予選決勝を観客席から見つめていたそうだ。ウインターカップにチームを導くまでのコーチに成長した息子・豊文コーチに対して父・豊氏は「確かに喜ばしいこと。しかし、(土浦日本大もあるので)県内では頑張り過ぎないでほしい。34年ぶりに暇な冬になってしまいましたよ(苦笑)」と、複雑な表情を浮かべていた。
さらにもう一人、県立取手松陽の試合を見守っていたのが、前橋育英(群馬)の安西智和コーチだ。佐藤豊文コーチにとっては、土浦日本大高時代の一つ上の先輩にあたる。ウインターカップ準優勝当時の得点源だ。
その安西コーチに率いられた前橋育英は、200センチの留学生を擁する岡山学芸館に前半20点のビハインドを背負った。
「留学生がダブルチーム(2人がかり)では止まらなかったので、前線から激しくプレッシャーをかけて流れを引き寄せたのです」
試合終了と同時に、前橋育英・佐藤侑紀主将の手から放たれた劇的な逆転シュートは、ディフェンスの粘りが生み出したビッグプレーだった。安西コーチが高校生の頃、徹底的に指導されたディフェンスがしっかりと教え子たちに継承されているように映った。
男子ではその他にも、北海道大麻(北海道)が延長戦の末に安城学園(愛知)に勝利し、県立山口(山口)が北陸(福井)に1点差で惜敗するなど、熱戦が相次いだ。大会3日目、12月25日にはいよいよ、男子のシード校が姿を現す。東京体育館に充満するウインターカップの熱気は日に日に高まっていく。
<了>
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ