米国ドリームチームが取り戻した名誉=バスケ

宮地陽子

アテネ王者・アルゼンチンと準決勝で再び対戦

8月22日、北京五輪の男子バスケットボール準決勝が行われ、スペインと米国が決勝に進出。写真は米国のコービー・ブライアント(左) 【Photo:ロイター】

 米国にとって、決勝トーナメントは決して楽な道のりではなかった。準々決勝のオーストラリアにはフィジカルで、しかも緻密な試合で苦しめられ、ハーフタイム直前まではほぼ互角の戦いだった(最終的には31点差で米国が勝利)。準決勝のアルゼンチンは、4年前のアテネ五輪でも準決勝で対戦し、米国を倒したチーム。今回は、年齢や故障もあり、これまでほど選手層が厚くないと言われながらも、準決勝では大接戦の末にギリシャを下して勝ち上がってきていた。

「チャンピオンになるにはチャンピオンを倒さなくてはいけないのだから、大歓迎だ」とカメロ・アンソニーは言った。レブロン・ジェームス、ドウェイン・ウェイドとともに、4年前のアテネ五輪と2年前の世界選手権の2度の準決勝敗戦を経験しただけに、“リディーム”への思いを強く持っていた。
 その強い思いが出たのか、準決勝の米国は試合開始から完ぺきな戦いをし、一気に20点近くの差をつけた。アルゼンチンはエースのマヌ・ジノビリが1ピリオド途中に故障で戦列離脱。並のチームならここで勝負ありとなるところだが、前王者は簡単には引き下がらなかった。米国が苦手とするゾーン・ディフェンスを多用してリズムを崩し、一時は6点差まで追い上げた。しかし4年前よりチームとして成長した米国も、そこで崩れるチームではなかった。後半に入ると再びアルゼンチンを突き放し、最終的には20点差で決勝進出を決めた。

決勝は五輪史上に残る名勝負

 米国の反対の山から勝ち上がってきたのは2年前の世界選手権の王者、スペインだ。準々決勝でクロアチアを倒し、準決勝では接戦の末にリトアニアを倒していた。予選ラウンドでは大差で米国に敗れていたが、金メダルがかかった試合では、簡単には引き下がらなかった。
 米国対スペインの決勝戦は最初から最後まで、米国が引き離しそうになると、スペインが追い上げ、スペインが追いつきそうになると米国が引き離すといった一進一退の接戦で、五輪史上に残る名勝負となった。先発のホゼ・カルデロンが故障で欠場したスペインは、代わりに出番が増えたフアン・カルロス・ナバロが米国のディフェンスを翻弄(ほんろう)し、一方の米国はコービー・ブライアントとレブロン・ジェイムスの2人のエースが早々にファウルトラブルとなると、控えから出てきたドウェイン・ウェイドが試合を支配した。スペインがルディ・フェルナンデスの3ポイントで試合残り8分18秒で2点差まで追い上げると、米国はブライアントがドライブインからのプルアップ・シュートやアシスト、そして3ポイント、そして3ポイント+フリースローの4点プレーと立て続けに得点に絡むプレーを決め、米国に勝ちを引き寄せた。
 最終的には118対107と11点差で米国が優勝を果たしたが、点差以上の激戦だった。米国が二つの「リディーム」を完成させ、再び世界の頂点に立った試合だったと同時に、スペインを筆頭とする世界の強豪が、すきあらば米国を抜こうと迫っていることを改めて世界中に知らしめた試合でもあった。
 表彰式の後、米国の選手たちは一人ずつ自分の金メダルをシャシェフスキーの首にかけた。シャシェフスキーの首から重なるようにかけられた12個のメダルは、12人の選手がコーチのもとで、そして「スター・スパングル・バナー」の歌のもとで、一つにまとまったことを象徴するかのようだった。

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著者プロフィール

東京都出身。国際基督教大学教養学部卒。出版社勤務後にアメリカに居を移し、バスケットボール・ライターとしての活動を始める。NBAや国際大会(2002年・2006年の世界選手権、1996年のオリンピックなど)を取材するほか、アメリカで活動する日本人選手の取材も続けている。『Number』『HOOP』『月刊バスケットボール』に連載を持ち、雑誌を中心に執筆活動中。著書に『The Man 〜 マイケル・ジョーダン・ストーリー完結編』(日本文化出版)、編書に田臥勇太著『Never Too Late 今からでも遅くない』(日本文化出版)がある。現在、ロサンゼルス近郊在住。

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