涙のメダル獲得を支えた家族とのきずな
のしかかるメダルへの重圧
男子400メートルメドレーリレーで、3分31秒18の日本新記録をマークし銅メダルを獲得。喜ぶ日本チームの(中央から左へ)北島、宮下、藤井とアンカーの佐藤(右下)=国家水泳センター 【共同】
背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ、自由形と4泳者でつなぐメドレーリレーは、それぞれ4種目の国のナンバーワンが出場し、各国の総合力が試される大切な種目でもあります。日本チームは、2007年の世界競泳で樹立した日本記録が、世界歴代2位に位置していました。しかし今年に入り、世界中のスイマーが高速化の流れで、驚異的な記録を樹立。日本チームは連続メダルを獲得できるのか、関係者の中でも不安が広がっていました。
リレーメンバーは、今大会100m種目のレースで、記録がいい選手が選抜されます。背泳ぎは宮下純一選手、平泳ぎは北島康介選手、バタフライは藤井拓郎選手、自由形は佐藤久佳選手。中でも最終泳者の佐藤選手は、このメドレーリレーのメンバーとして五輪代表に選考され、メダルに向けての相当な重圧がありました。
メンバー落選の危機
その様子を察していた佐藤選手の家族は観客席で見守り、彼の泳ぎを見て複雑な表情を見せました。「国の代表として、しっかりと責任感を果たしてほしい」、しかしその反面、「初めての五輪で、この重圧は久佳がかわいそうに思う」と。
決勝でメンバー入りができるのか分からない状況の中で、彼を影ながら支え、アドバイスを送ってきたお兄さんは、予選の泳ぎをビデオに録画し、気になった修正点をメールで送りました。その夜、佐藤選手から「絶対にメダルを取って帰る」という力強い言葉が送られてきたそうです。決勝で泳げる喜び、責任を感じた彼は、なんと坊主姿でプールへ現われました。
与えられた使命を果たした佐藤
アンカーで順位が決定するメドレーリレー。銅メダルが決定した瞬間、佐藤選手は涙を流しました。相当なプレッシャーと重圧の中、しっかりと責任を果たしました。表彰式でメダルを胸にした佐藤選手の姿を見て、家族は涙を流しました。2006年に他界したお父さんの写真を手に声援を送った妹さんは、「お父さんが笑っているように見える」と語っていました。
2006年1月12日、佐藤選手の誕生日に他界したお父さん。彼のお母さんは、「心配ばかりかけていたのが、久佳でした。きっと主人は久佳を強くするために、あの子の誕生に旅立ったのだと思います。最後の優しさだったと思います」と話してくれました。絶望のどん底からはい上がった彼は、「家族を北京へ連れて行く」という強い気持ちで、北京五輪まできました。その大舞台、家族の前で素晴らしい結果を残すことができました。目標を達成した彼の眼には、お父さんの優しい笑顔が見えたでしょう――。
<了>
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