F・トーレス、途中交代の裏にあるもの=スペイン 4−1 ロシア

小宮良之

アトレティコとリバプール、あるいはリーガとプレミアの違い

「90年代前半にアトレティコでFWとして活躍したキコがアイドルで、部屋にはポスターを飾っていたよ」と語る若者は、若くして名門の命運を握ることになった。トーレスは移籍金100億円で誘惑してきたレアル・マドリーの申し出を素っ気なく袖に振り(アトレティコの最大のライバルになぜ移籍するのだと)、チームのために粉骨砕身のプレーを見せた。リーダーとして振る舞い、なおかつ中心選手としてチームを勝利に導こうと。
 しかしその使命感は、自由奔放にゴールを狙うエゴとは両立しなかった。
「俺がやらないといけない」との思いが強過ぎ、ゴールセンスまで曇らせた。
 地元メディアは「トーレスの存在が大きくなりすぎて、彼がひとたび調子を落とすとチームも調子が悪くなる依存症が起きている」と書き立てた。本人も、「自分がアトレティコの障害になっている」と告白するようになり、やがて想いを振り切るようにリバプール移籍を決断したのである。

 そして今シーズンは公式戦で33得点。1試合平均1.36ゴールという圧倒的な得点率で、トーレスはくすぶっていた得点感覚を取り戻した。スペイン代表DFで、リバプールでも同僚のアルベロアはこう証言する。
「トーレスは縦に対する速さと強さを持っている。それがプレミアリーグのスタイルと合ったんだ。チームメートが彼の良さを生かして、簡単にゴールを決めてくれた」

 実はリーガ・エスパニョーラ時代、いくら彼が動いてもパスが出ないシーンはしばしばあった。リーガの攻撃は、中盤の選手が一度前にいるFWに対してくさびを打ち、FWからパスを引き出し、それをサイドに展開、あるいは裏に出す場合が多い。リーガでは手数をかけることで、トーレスの動きは空転していたが、プレミアは縦に対する意識が強いだけに、トーレスが動けば瞬間的にボールは出てきたのである。
「マークを外し、裏のスペースに走り込むと早いボールが出てくるのでやりやすい」と本人も告白しているが、瞬時にトップギアに入るスピードは、縦に速いフットボールを信奉するプレミアの方が適していたのかもしれない(余談だが、プレミアの縦に速いプレーに慣れていたアンリは、バルサで不振にあえいだ)。

スペイン代表におけるトーレスの存在意義

 ロシア戦、憂いの表情を浮かべるトーレスを見詰めながら、筆者はあらためて自問する。
 トーレスはスペイン代表として、ユーロで恐るべき潜在能力を発揮できるのか。
 スペイン代表は手数をかけて攻撃するだけに、「トーレスは孤立している」と批判するマスコミは少なくない。確かに、ロシア戦もそういうシーンがないわけではなかった。しかし一つだけ断言できる。それは、彼が自分のエゴを昔よりも操れる選手になったということだ。ゴールに対する執着心はそのままに、チームの一人として仲間の良さも引き出す。先制点はまさにその象徴だった。

 その証拠に、ロシア戦、3得点で大車輪の活躍を見せたビジャは、真っ先に2トップの相棒であるトーレスへこんなメッセージを送っている。
「前半の試合展開は本当に良かった。トーレスが何度もマークを外して起点になることでチャンスになっていた。(ピッチから見て交代を命じられた)あいつはがっくりきていたようだったから、(これからスペインが勝ち上がっていく上で)チームに必要な選手なんだぞ、ということを伝えたかったんだ」。3点目をたたき込んだ直後、ビジャはベンチにいたトーレスに駆け寄り、抱きついた。それは仲間として、信頼の印だった。
 24歳になった恐るべき赤ん坊は、プレースタイルの違いをも超越する。すでに産声は上げた。世紀のビッグトーナメントがゆりかごを揺らす。

<了>

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著者プロフィール

1972年、横浜市生まれ。2001年からバルセロナに渡り、スポーツライターとして活躍。トリノ五輪、ドイツW杯などを取材後、06年から日本に拠点を移し、人物ノンフィクション中心の執筆活動を展開する。主な著書に『RUN』(ダイヤモンド社)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)、『名将への挑戦状』(東邦出版)、『ロスタイムに奇跡を』(角川書店)などがある。

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