ベッカムの移籍と代表監督の「よき鈍感さ」 東本貢司の「プレミアム・コラム」
イングランド代表監督マクラーレンの“軟化”
イングランドの代表監督マクラーレンは、スペイン戦後に態度を軟化させ始めている。ベッカムらベテランの代表復帰はなるだろうか 【 (C)Getty Images/AFLO】
仮にも国家の意志を代表する立場にある人々の、思慮の浅い言動や独り善がりな“マニフェストらしきもの”の発動(未遂ばかり?)は今に始まったことではないが、どうにも間が抜けた話ではないか。記事は訴えている。そこまで力んでわざわざ国費を使うまでもなく、「よき鈍感さ」で世界各地に芽吹いた和食文化を見守ってはどうか、と。
そんなことを考えるにつけ、イングランド代表監督スティーヴ・マクラーレンの姿に、就任直後から見え隠れしていた「力み過ぎによる“氷の鎧”」が今、溶け始めていることを見て素直に喜ばしく、今後のスリー・ライオンズ(イングランド代表)の行く末に大いに期待を抱かせるものだと思う。
これまでのマクラーレンには明らかに、ひたすら「エリクソン色」を消そうと躍起になった節があった。その端的な表れが「脱“エリクソンの恋人”ベッカム」だったことは論をまたない。「若返り」という、それなりに説得力のある金科玉条(※)もあろう。ヴェナブルズをアシスタントコーチという名のお目付け役に“押しつけられた”ことが、無意識にそれに拍車をかけたかもしれない。あるいは、彼自身が当初は本命ではなく、ヒディンクやルイス・フェリペ・スコラーリに逃げられた上での“滑り止め”だった屈辱の念がなせる、一種の(FA・イングランド協会への)意趣返しの意味でもあっただろうか。
いずれにせよ、先のスペインとのフレンドリーマッチ敗戦後から、マクラーレンはいくつかの現実の“壁”を危機感を持って実感したのか、明らかにそれとなく態度を軟化させ始めている。ミドゥルズブラ監督時代の配下にいたマッシモ・マッカローネらに「二枚舌の嘘つき」呼ばわりされ、「戦術家としてはともかく、プレーヤー心理掌握の点で失格」となじられたのも、少しはこたえたのかもしれない。
マクラーレンがのっけに掲げたのは、「もっと(代表の)メンバーと一緒にいる時間が欲しい」との理由で、実際は協会の資金稼ぎの意味合いが濃いフレンドリーマッチを削減すること。これには、ひょっとしたらいまだ残るFAへの“遺恨”が働いている節もなくはなさそうだが、包括的にはもっと重大な意図が隠されていると思われる。
※金科玉条(きんかぎょくじょう):最も大切な法律・規則。絶対的なよりどころとなるもの
ベッカムらの代表復帰はあるか
どうやら、マクラーレンはこれに動かされたようだ。そこで、単に指揮官とピッチ上のプレーヤーたちという機械的な関係を脱して、いわゆる合宿状態の中でプレーヤーたちと密に触れ合える機会を作ってほしいと訴えたいのだろう。
そして、このフレンドリー削減を進言する意志を公にしたタイミングこそ、まさに、レアルのファビオ・カペッロが(軟化して)ベッカムをレアル・ソシエダ戦のスタメンに復帰させ、ベッカムがトレードマークのFKで直接ゴールを決めたゲームの直後だった。
マクラーレンはいみじくもこう語っている。
「ベッカムやデイヴィッド・ジェイムズ、ソル・キャンベルには、(代表)再招集されるチャンスが十分にある。私の方から、彼らに(代表引退の)引導を渡すことはあり得ない」
ちなみに、マクラーレンは“同じ”週末、ポーツマス−マンチェスター・ユナイテッド戦をライヴ観戦しており、ジェイムズ、キャンベルの活躍に胸を打たれたと述べている。
筆者は以上の一連の“事実”を、今のところ、マクラーレンがあえて「よき鈍感さ」を持とうと腹を据えた、くくったのだと解釈している。例えばそう、自分が「“彼ら”の心理を、現状をすべて把握していると思い込んではいけないのだ」とか。下手で独り善がりな想像力(=先入観)は、かえって自らを過つ落とし穴にもなり得る。むしろ、肩の力を抜いて気楽にやるべし。
反骨の名文記者として知られた朝日新聞の門田勲氏は、あるかば焼きの老舗でさんざん薀蓄(うんちく)や能書きを聞かされ、うんざりして思わずこうつぶやいたという。
「いい加減なやつを気楽に食べさせてほしい」
もし、マクラーレンがこのエピソードを聞いたら、彼は何をどう思うだろうか。
<この項、了>