ベッカムの移籍と代表監督の「よき鈍感さ」 東本貢司の「プレミアム・コラム」

東本貢司

蔓延する“想像力を欠いた人々”

ベッカムはMLSへの移籍表明後初めてスタメン復帰を果たしたレアル・ソシエダ戦で、トレードマークの直接FKを決めた 【 (C)Getty Images/AFLO】

 村上春樹の『海辺のカフカ』に登場する人物の会話に、次のような一節がある。
「……うんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う〈うつろな人間たち〉だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。そして、その無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に押しつけようとする人間だ」

 ふと、近ごろ世間を騒がせている後味の悪い事象、事件のほとんどは、想像力を欠いたぞっとするような無感覚さが、かつてなく野放しにされているからなのかもしれないと思うことがある。身勝手で空虚な上昇志向、セックスをもてあそんだ末に、子を産み育てる喜びどころか覚悟のかけらも感じられない“親”たち、即物的で移り気な享楽エンターテインメント、乱れるに任せてそのまま強引に正当化されていく言葉……。
 ネット掲示板などに溢れかえる無粋で無責任な暴言、悪意の数々などはもちろんだが、情報番組の捏造(ねつぞう)騒動も、政府要人の不用意な発言も、まさに「想像力を欠いた狭量さ、非寛容さ。ひとり歩きするテーゼ、空虚な用語、簒奪(さんだつ)された理想、硬直したシステム」(引用、前出)そのものではないか。

 デイヴィッド・ベッカムのMLS(メイジャーリーグ・サッカー)参入決断に関する報道の大半も、およそ想像力を欠いた“芸のない”意見、こじつけ、憶測に終始しているようだ。多分に予想されたこととはいえ、フットボールジャーナリズムとは、その大半がしょせんこの程度のレベルでしかないのかとあきれてしまう。
 例えば、「ベッカムがアメリカに行く? 引退したも同然だな」というギャリー・リネカーのコメントを、さもイングランドのその筋の総意であるかのように引き合いに出す。

ベッカムをめぐる短絡的な報道

 ここで、われわれは疑ってみる必要がある。なぜ「リネカーの言葉」なのか?
 90年代初頭、リネカーはJリーグ立ち上げの“超目玉商品”の一人として日本にやって来た。ところが哀しいかな、故障もあったとはいえ“スーパースターの残り火”すらほとんど披露できずに去っていった。ただ、わずかながらも“人寄せパンダ”の役割は果たしたかもしれない。ちなみに、後年、リネカーと親しいイングランドのジャーナリストから聞いたことだが、彼は「日本には悪い思い出しか残っていない」と語っていたという。
 言わんとするところはもうお分かりだろう。ここには「リネカー:ベッカム=Jリーグ:MLS」という、短絡的で「硬直した」数式が存在している。

 しかしよく考えてみると、この“数式”は多分に成り立たないことが分かるはずだ。まず第一に、MLSは創設早10年を経てそれなりに地歩を固めていて、当時生まれたばかりだったJリーグとは格段の差があるということ。そして、明らかに一線を退いていた当時のリネカーと、昨年のワールドカップで、依然としてイングランドの中心プレーヤーたる存在感と実力の片りんを証明したベッカム。
 後者については異論があるやもしれないので、改めて確認しておきたい。ベッカムはトレードマークの直接FKゴールを2発(グループリーグ初戦のパラグアイ戦では、“運悪く”敵DFのオウンゴールになったが)を決めた。第2戦のトリニダード・トバゴ戦では、長いピンポイントクロスでクラウチのヘディングゴールを生み出した。準々決勝のポルトガル戦終盤に自ら交代を申し出たことでも分かるように、大会に入ってから体調が必ずしも万全ではなかったにもかかわらずである。

 常々感じることだが、2002年のワールドカップ以来からか、ベッカムのイメージについては、妙に尾ひればかりが増幅された“余計な想像力”が、一般的なファンの感性にはびこり、取りついてしまってはいないだろうか。ベッカム・イコール「車、衣服、アクセサリーに関する高級ブランドマニアで、盛んに髪形を変える趣味を持ち、浮気話や家族の誘拐未遂事件が絶えない、アスリートらしからぬセレブ気取り」とか何とか……。
 そう、想像力も“偏ったり、度が過ぎる”と、かえって判断を誤ることになる。実際、人は平然とありとあらゆる毒を受け入れつつ、他方でそれを自らまき散らしておいて、そしてまもなく“気にも止めなく”なってしまうようだ。あるいは、もっとたちが悪い場合には、およそ思慮に欠ける行為に走ってしまうことも。つまり、「鈍感さ」もときには良識に等しいと思える場合もある。例えば……。

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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