イングランド敗退の混乱 東本貢司の「プレミアム・コラム」

東本貢司

より戻された運命の糸は、ぷつりと切れた

ホームでのクロアチア戦に敗れ、自らユーロへの切符を手放してしまったイングランド代表 【 (C)Getty Images/AFLO】

「イングランドは散った」――とため息でピリオドを打つにはかなりの違和感がある。例えば、赤いバラをシンボルに戴くラグビー代表ならいざ知らず。“散り際”が引っかかっているわけでもない。こうなる予感があったということとも少し違う。たぶん、ロシアに悪夢の逆転負けを喫したとき今にも切れそうになった運命の糸が、イスラエルの奮起のおかげできりきりとより戻されたはずだったのに、それを自らの手で確かめ、補強する絶好の機会を生かせなかったという経緯も、評価分析の道筋が混乱している印象の一因なのかもしれない。

 折りしも、東京某所ではフットボール好きでは人後に落ちないエルトン・ジョンのソロコンサートが行われていた。ポップミュージック界のレコード売り上げ数累計で史上ナンバーワンを誇り、もはや悠々自適の晩年に入った彼の存在が近年ひときわクローズアップされたのは、全盛期にマリリン・モンローことノーマ・ジーンにささげて作曲した『Candle in the Wind』を、憤死したダイアナ元皇太子妃の追悼にあてて“リメイク”したときだったが、マクラーレン・イングランドは出発の頃から、あるいは少なくとも、あの不運(で無様)なオウンゴールに象徴される対クロアチア敗戦のときから、まさに「風の中で危なっかしく揺れているロウソク」状態だったのかも――などとつぶやいたりしたら、妙な感傷的比喩(ひゆ)はいい加減にしろ、とでもたしなめられてしまうだろうか。

 辛らつな現地ファンにあらためて「無能」呼ばわりされているマクラーレンの起用采配(さいはい)だが、特に何がおかしいというわけでもなかったと思う。強いて挙げれば、あえてベッカムを外す決断をしたにしては、結果的にそれも撤回した格好になり、総じて自分の色を明解に出すほどの思い切った再生手術に踏み込めなかったということになりそうだ。傍で言うほどそう簡単にメスを入れられるわけもなく、すべては結果論に収れんするとはいえ、確かにこの点を突き詰めて行けば、何かと後手後手に回ってしまった感は否めない。

マクラーレンの迷いが、最後は仇に

 象徴的なのがギャレス・バリーだ。チェルシーに移籍してめきめきと頭角を現したランパードの陰に隠れてしまった格好のバリーだが、前回も触れたように彼はユーロ2000予選頃から代表レギュラー入りを期待されていた“先輩”である。現に、当時の監督キーガンは本大会のメンバーに彼を招集しているくらいだ。しかし、そのキーガンとてバリーの中盤センター適性を見出すまでには至らなかった。背景には、近年のイングランドが(特にエリクソン以降)「中盤の左利き」にもう一つこだわりを持ってこなかった事実が見えてくる。

 もし、ランパードの故障という“口実”がなければ、いまだにバリーは幻の代表のまま朽ちていく運命にあったかもしれない。それでも、代役一番手に抜てきされたという事実からすれば、マクラーレンはそれなりに評価し、いや、たぶん“見抜いて”いた可能性はかなり高い。だとすれば、やはり回り道をしてしまったことになる。

 さかのぼって、大鉈(おおなた)を振るったようには見えたベッカム外しも、あれほどの“がんばり屋”がドイツ・ワールドカップ(W杯)での“最終戦”途中に体調不良で自ら退いたことに、さすがに“限界”を感じ取ったゆえの動機にすぎなかったとしたら? いくらファンやメディアから「ジェラードとランパードは両立しない」と指摘されたところで、快進撃のチェルシーを支える“プリンス”をサブに落とす発想にどうしてもブレーキがかからざるを得なかったのだとしたら……?

 そして、マクラーレンの迷い、もしくは“後手回り癖”は、よりによって「絶対に負けられない」最終クロアチア戦で「悔やんでも悔やみきれない」仇(あだ)となってしまったように思えてならないのだ。そう、ミスがちと幾度となく批判され続けてきたロビンソンにあれほど頑としてこだわってきたマクラーレンが、なぜこの期に及んでカーソン先発に踏み切ったのか。たとえ「ハリウッド・ユナイテッド」と称する素人の寄せ集めチームとLAギャラクシーの見世物試合であろうと、ベッカムの仕上がり状態を確かめるだけの目的でわざわざ大西洋を渡ったにもかかわらず、その“頼みの切り札”をベンチスタートに追いやったのか。

 むろん、すべては結果論にすぎない。仮に(“本筋”にしたがって)ロビンソンとベッカムをスタメンに起用していたとしても結果は変わらなかったかもしれない。しかし、しかるべく“とてつもない重圧”を背負ったカーソンが致命的なキャッチングミスを犯し、ベッカムが登場した後半、一気に盛り返して同点に追いついた事実は、哀しいほどに何かを物語っている。

 スコットランドが悲壮な憤死を遂げ、なぜかイングランドに報いようと奮闘するイスラエルがロシアをうっちゃった同じ日、熱心で皮肉っぽい現地ファンからは、まさにこんな声が挙がっていた。「マック(マクラーレン)、奇跡的にクビがつながったな。しかし、まだ安心するのは早いぞ。そのクビを本当につなぎとめておきたければ(クロアチア戦で)絶対に、絶対にロビンソンを使うなよ。それから、頼むから(まだ体調に不安のある)ベッカムは切り札として温存しておけ。でも、あんたはまずそんなことはしないだろうな」

 この、いかにもイングランドらしい揶揄(やゆ)と励まし(?)の言葉ほど、背筋がぞくっとするような“逆説”はあるだろうか。“彼ら”はその実、マクラーレンの頑固さをひとえに信じた上で、“安どの結果”を信じたのだ。今、彼らのこんな声が聞こえてきそうだ。
「マック、あんたがそんなに素直だったとは……“信じた”おれたちがバカだった」

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著者プロフィール

1953年生まれ。イングランドの古都バース在パブリックスクールで青春時代を送る。ジョージ・ベスト、ボビー・チャールトン、ケヴィン・キーガンらの全盛期を目の当たりにしてイングランド・フットボールの虜に。Jリーグ発足時からフットボール・ジャーナリズムにかかわり、関連翻訳・執筆を通して一貫してフットボールの“ハート”にこだわる。近刊に『マンチェスター・ユナイテッド・クロニクル』(カンゼン)、 『マンU〜世界で最も愛され、最も嫌われるクラブ』(NHK出版)、『ヴェンゲル・コード』(カンゼン)。

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